ちょス飯の読書日記

 『少女ミンコの日記』★★★★★
  

少女ミンコの日記 (1982年) (文学の館)

少女ミンコの日記 (1982年) (文学の館)

 1946年、長崎の五島列島で生まれ育った今井 美沙子氏の五島福江新栄町での日々が、こどもの眼(六歳の頃)で見たまま書かれている。「亡き父にささぐ」とある。
 ジュースの卸売りやいろいろな商売に失敗し、ミンコたち五人のこどもたちを養うために父は四十過ぎてから漁師になる。一月に5日しか帰って来ないが、子どもたちはより一層父を慕って待つ。しっかりものの母は、隠れキリシタンの末裔であることを誇りにして、カトリック・聖書の教えの通り生活している。知恵を絞り心豊かにたくましく実に、堂々たる子育てをしている。より貧しいものを無料で宿泊させたり、借りた畑で採れたさつまいもでも、子どもが海で採ってきた貝でもたくさんあるものは、すべて近所に惜しげなく分け与えている。一層貧困になることは構わない。
 春夏秋冬の景色や子どもたちの楽しい遊び、純朴な島の人から金を巻き上げにやって来る偽学生やいんちき俳人のこと、また重ばんという狂人のこと、親しいおばの死、島を去る一番仲良しの恵子ちゃんとの別れ・・・などなどどの章も本当に面白い。
 とくに、母がミンコのすぐ上の姉操が戦時中一歳半でジフテリアで亡くなったことを、戦争のせいで助けてやれなかったと悔み続けていることは、印象深い。何人も他に元気な子がいるのだから、ひとりくらい亡くなってもいいではないかというものではない。どの子も深く愛して育てられており、かけがえない存在なのだ。
 ひな祭りのご馳走の章も・・・・胸が詰まり、そしてスリル満点だった。家にご馳走の材料を買う金がないことを知るふたりの姉達は、今年のひな祭りには、母ちゃんにご馳走を作ってくれと絶対頼んではならない、とミンコに何度も言い聞かせる。しかし、ミンコは他の仲良しの子どもたちと同じように、重箱にご馳走を作って詰めて、と大泣きして聞かない。この場面に、胸が詰まった。ミンコのご馳走とは?母ちゃんの機転でどう切り抜けるのか?

 一番の大ピンチには、たくましい母ちゃんも泣いた。借金取りに罵られ馬鹿にされてしまい、遂に税金滞納赤紙が家中の家具に貼られてしまう・・・
p.226より抜粋
 母はいった。万感の思いをこめていった。
 「人には絶対借金すんなよ。
  人には借金すれば、いいたかものもいえんごとなる。
  ばかにされても。ひとことの文句もいえん。
  あがどんが大きゅうなったら、働くんじゃぞ。 
  働いて、働いて、働くんじゃぞ。ぜったい貧乏だけはするなよ。
  いままでは、貧乏もよかもんじゃと、おしえたこともあったばってん、
  やっぱ、きょうのごといわれると、貧乏はよくなかっち思う。
  じゃばってん、もし金持ちになっても、
  人ば見くだしたら、いなかとぞ」

 p.152、153より抜粋
  【母の言葉】
 「父ちゃんは・・・貧乏じゃばってん、心はいつでも正月のごと、晴れ着ばきちょっとたい・・・・」
 父の禎蔵は、末っ子で子どものときからの延長で結婚し、子どもが生まれてからも、兄や姉にあまやかされていた。そのためか、人を疑うことを知らず、現実ばなれのした性格だった。

 脳天気なぼんぼんのまま、大人になった生活力のない父を見限ったり罵倒せず、それどころか、常に庇い、五人の子どもたちを立派に育て上げた母。しかし、作家は母ではなく、「父にささぐ」と。小学生のための児童文学書。しかし、大人たちにも是非、読んで欲しい一冊だ。

   ※※※※※

 6日、今夏初めてわが枕辺の、小さい小さいベランダでカネタタキが鳴いた。というか、鉦を叩き始めた。小さい体で、懸命に叩いているのだろう・・・。どうやって、一匹だけで16年も棲息できているのか不思議。毎年生まれ変わっているのだろうか。鉦ある限り叩き続ける、ということかな。はははは

7日手紙を整理。亡き父からの手紙や葉書を読み返すと涙が止まらない。片付けが遅れる。25年前ペルー、マチュピチュ遺跡にへ行き、高地に水が引かれていることに驚愕した様子。しかし、ユーカリが生えていてパンダが食べるとの記述にhatena?

 8日は曇で、暑さが和らいだ。午前中、マンションのほんの少しの土部分に生えている草取り大会に出場。午後、的中馬券の換金のためひとりで競馬場へ。少しだけ賭けてみたが・・・・。複勝のみ、ちまちま的中。しかし帰る頃には、結局大損となった。うーん。