8/14高校の学年同窓会へ

 故郷は暑かった。chosu-manmaタウンより、3度は暑い。そこで、夫婦で沖縄のリラックスウエアーで同窓会に参加。
 男性たちは、禿げた人や、禿げかけの人、腹の出た人が多くダサかった。一方、女性たちは、念入りに化粧をほどこし、よそ行きのきらびやかな服装。パーティドレスの人までいた。綺麗なもの、おしゃれな人を見るのが大好きなchosu-manma。眼福なり。
 自分の貧しいおばあの紺地に白い紅型模様のぶかぶかワンピースコスプレが、かえって目立っておかしい。
 3年次のクラスごとに、丸いテーブルを囲み、再会できたことを喜び合う。女子は、ほとんど子育てを終え自分の時間が持てるようになった、という。お互いの健闘を称え合う。

 早速chosu-manmaは、高3の12月に中退したchosu-pampaを皆に紹介。やんやの喝采を受けた。彼が、伊勢丹で選んでくれた銀婚式の記念指輪も見せびらかした。ふふふ
 けれど、彼を覚えている人は、ほとんどいない。
 別の組のテーブルに行き、一年のときの同級生に、彼を紹介するとこちらは皆覚えていた。彼が、冬のある日、コートを脱ぐとパジャマだったことも。皆で再爆笑。当の本人は「覚えていない」とすましていた。

 chosu-manmaは、このとき彼と結婚しようと決意したのだった。隣の席に座る彼の、一生学級委員長でいようと。当時
 クラス中大爆笑したあとでも、笑いが止まらぬchosu-manma。それを、いらいらして「笑うな」と怒鳴った今は、社長業のH君に挨拶すると・・・・「ごめんなさい、ふたりとも覚えていない」とのたまう。
 chosu-manmaが覚えていた人は、全員がchosu-manmaを覚えていたというのに。そして、結婚したというと誰もが仰天してくれたというのに。
 和服のTさんときたら、1度も同じ組になったことが無いのに、わざわざ馴れ初めをインタビューにきてくれた。

 ただ、美人薄命の言葉通り、Kちゃんが10年前に子宮がんで亡くなられていたことを知りものすごく驚いた。合掌。
 また、才色兼備の誉れ高いRさんが、今倒れて闘病中とのこと。同窓会の模様を伝えて励ましたい。

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 2年のとき、chosu-pampaの前の席だったというM君が会いに来てくれた。学校にちっとも来ないで、授業中も『戦争と平和』などを読んでいたことを覚えていてくれたそうだ。なんちう賢いやつだと思ったそうだ。彼は、教師。休みには山へ行き水彩スケッチを描いているという。

 chosu-pampaは、美術の先生に「画家になれる」と言われた、画家になってほしいと、今もchosu-manmaは思っているのですよ。とM君に言うと「いつか是非有名な画家になって」と笑った。
 高校のときに友達になっていたら・・・・と彼は言う。

 いや、中退して初めて彼は生き直すことができた。中退後進んだ職業訓練校で出会った先生や仲間が、彼を素の彼に戻したのだ。