オウム真理教、その犯罪の帰結

 昨日朝、テレビに臨時ニュースが流れた。松本智津夫死刑囚の死刑の手続きに入ったと書かれていた。
 驚いていたら、なんとこの日のうちに、東京、広島、大阪拘置所で7人いっぺんに死刑が執行された。刑務官も、複数人を死刑にするというのは、初めてで大変な一日となったことだろう。
 
 放送局には、既にその情報が入っていたのだろう。用意されていたオウムの記録映像が各局で流され、司会者たちも冷静で、あたふたとしていなかったので、却って変だと思った。

 再審請求中に、死刑が執行されたものもいた。もっと、多くのことを語らせることができたのに、井上嘉浩死刑囚などからは。
 逆に松本死刑囚は、真相を語らなかった。
彼は、死刑の恐怖からくる精神の異常をきたしていたようだが、ついに、自分の口から一連の事件の動機や自己弁護、成し遂げたかったことを語ることはなかった。

 無論、松本氏は反省もしていないだろうが、・・・。詐病ではなく、精神病だったとしたら、治療が必要だった。病気の死刑囚には、刑を執行できないという法律があるのだが。
 
 chosu-manmaは思う。

 松本氏は、ただ命令していただけだから、あれほどの残忍なことが次々にできたのではないかと。彼が、被害者の顔を見て、あるいは手探りでさわって、どんなに苦しんで死んでいったかを、実感していたら、どうだっただろう。坂本一家を皆殺しにしても、その3人の遺体を彼は確認しただろうか。殺した赤ちゃんを、彼はその片目で見るべきだった。自分にも、たくさんのこどもたちがいるというのに。自分に反対するもののこどものいのちに、微塵の躊躇もなく、「奪って良い」と彼は判断したのだろう。
 その残虐性は、恐るべきものだが、良心がないと思えば、腑に落ちる。
 彼は、おそらく、どの被害者の死に顔も見ていないから、実感がなかったのではないか。
 そして、正々堂々と「オウムは潔白だ」とメディアで叫んでいた。
歌まで作っていた。「わたしはやってない、けえぱくだー」確かに、彼はやっていない。やらせていたのだから。

 嘘を吐いても平気な人は、いる。その人が、「最終解脱者だ、ブッダとキリストの生まれ変わりだ」と大声でいい、空中を飛んで見せて、純真な若者から「神」だと祭り上げられてしまったら。――神に逆らうものは、消して良し。犯罪はバレない。バレても死刑にするほうが間違っている。と彼は思い込んでいたのかもしれない。

 凶悪犯罪を実行した弟子たちは、命令にただ従っただけ、とも思えないが、人を何人殺しても、松本氏の命令なのだから、自分には責任はない、と思っていたのではないか。最初の殺人を犯したときから、犯罪を担わされた弟子たちは、正気ではいられなかったのではないか。正気になって、犯罪行為を止めさせようとすれば、次は自分が殺されるのだから。
 
 被害者、被害者遺族のご無念は彼らが死刑にされたからといって、晴らされるものではない。また、真相が解明されたとしても、死んだ家族は戻らない。

 しかし、この一連の凶悪犯罪の理由として、もしただのサイコパスが、人命を弄んだだけで、自己顕示をしたいだけのパフォーマンスだったとしたら。それが、サリン発散の真相だったとしたら。あまりにも馬鹿馬鹿しい。
 ああ、それなのに、地下鉄サリン事件では、その自己顕示行為が5000人以上に健康被害、恐怖と苦痛を与え、未だに後遺症で苦しませるという甚大なものとなってしまった。
 恐ろしくてたまらない。辛い。これは、現実のことなのだろうか。

 無期懲役となった林郁夫氏には、これからも大いにオウムの内実や地下鉄サリン事件について語ってほしい。刑死した高弟たちのことも、知る限り。今後のカルト対策、社会の平安のために、彼は役に立つ。

 死刑を待機させらている、6人の死刑囚にも今こそ、何故オウムに入信し、松本市の命令どおりに動いたのか、被害者への謝罪、自分の家族への思いなどを大いに語っていってほしい。

 松本氏の遺児は正妻の子が6人、他の女性信者に産ませた子が6人いるという。
 この子らも、全員既に成人しているだろうが、どうかどうか、同じ轍を踏まないでほしい。誰かに利用されないでいてほしい。
 今朝の新聞には、カルト教団が増加していると書いてあった。