ちょス飯の読書日記
『流民の都』 ★★★★★
- 作者: 石牟礼道子
- 出版社/メーカー: 大和書房
- 発売日: 1973
- メディア: ?
- この商品を含むブログ (1件) を見る
肺炎や眼病を患い、弱々しい体であっただろう石牟礼氏が、よくここまで強靭な意思を持ってペンで天下国家を告発してきたと感心する。
とくに印象に残ったところを以下に抜粋する
242頁
国が水俣をどうみたか。水俣病患者は国民であるか。
「谷中村人民様お付そい」と自称した田中正造が自問していたことば。
――日本の中に、日本はあるか――
千種座長は明言した。「水俣は東京と貨幣価値が違う」のだから、水俣のいのちを安くしたのだと。
「東京は日本で一番、よか所と思うとった。よか所じゃなかった。よかひとも、少しはおんなったばってん、政府の役人な、天のごて(天のように)心のよか衆と思うとった。
自分は患者で、魂のなか人間になったとおもうとったら、政府の役人の方が、魂の無か人間じゃった。おとろしかった」
坂本マス女のことばである。
308頁
「・・・・・・どげんしょうかい・・・・・・。どげんしょうかい・・・・・・なあ、ばばさん・・・・・・。」
彼女はポロポロと夏の訪問着の裾で涙をふきながら、そういい続けた。なんと諫山家では訪問者のために、祭りのときにしかつくらぬ巻きずしがつくってあったのである。
場面の説明 女丈夫であるおるい大母さんが、自分の娘康子より病が思い孝子ちゃんと初めて対面。その家に巻きずしが準備してあったのを見て驚き、しかし、箸をつけることもなく、水俣病患者として原告になることを決意する。
当時、チッソ会社と国、行政へ患者たちが訴え出るということは、村八分を意味し、水俣市民からは猛反発を受けている状態だった。