友のブログ

 9年前に手紙のやりとりを再開した友人が、過去を振り返るブログを書いていると、今月初めに教えてくれたので、100回以上の文章を少しづつ読んでいた。
 ああ、驚いた。昨日読んだ箇所に。
 数年前のある夜に、膣からの大量出血で瀕死状態になり、明け方まで耐えて近くに住む友人に助けてもらい、彼女の車で病院へ行ったが、検査の結果、子宮筋腫の最悪の状態であると判明。その後、緊急手術となり、子宮を摘出されたという。
 それまで自らの意思で輸血や治療を拒否してきたので、自業自得・必然の結果だが、結局死の直前に彼女は、医師の人道的意思によって助けられた。

 40数年前、大学で出会った彼女は、今で言うLGBTの当事者だったのではないか。見るからに好青年という風貌と体型をしており、運動能力に優れ、着る服も物の考え方も男以上に、漢だった。彼女を慕うのは、女だった。格好をつけていて、煙草を喫う人だった。
 しかし、彼女自身の心は男でも女でもなかったのかもしれない。

 これは神様の皮肉なのか。

 「自分は男に生まれたかった、生理なんかなくなれば良い」と思って彼女は生きてきただろう、きっと。はからずも、子宮を失って彼女は、今や健康を取り戻したようだ。


 おそらく、彼女は誰とも愛し合わず性交もせず、子をなすこともなく「要らない」と思っていた子宮を失った。せいせいしただろうか。いや、親を思えば悲しかったことだろう。
 五体満足に産んでもらい、人より優秀な頭脳と身体を持っているのに、彼女はこの世に、遺伝子を残さないことを選んだから。

 彼女の病気のことをchosu-manmaは何も知らなかった。彼女は、たった一人で病み、そして回復して今日に至っていたのだ。幸いにも、彼女を慕う理解ある支援者が周りにいてくれたようだ。その人達に、お礼を言いたい。

 それにしてもあまりの衝撃に、chosu-manmaは心身が苦しい。彼女自身がひとりで生きることを選んだのだし、大東京へ来てから40年間誰にも頼らず、自律して生きているのだから、尊敬こそすれ、気の毒がることはないのだ。しかし。