ちょス飯の読書日記

 『苦海浄土』一部

新装版 苦海浄土 (講談社文庫)

新装版 苦海浄土 (講談社文庫)

第二部
苦海浄土〈第2部〉神々の村

苦海浄土〈第2部〉神々の村

第三部
天の魚 (1974年)

天の魚 (1974年)

  ★★★★★
 
 とくに、二部は最後に書かれたものだが、水俣病患者たちが立ち上がり、社長に談判しようと大阪チッソ株主総会へでかける件が、圧巻。

 水俣病の公式認定から17年。実に17年を経て患者たちは、自ら訴訟を起こしチッソ会社と対峙する。しかし、原告はわずか29軒、100数人の家族であった。

 そこには、チッソ城下町である水俣市民からの水俣病患者への、差別、偏見、蔑視のみならず、訴訟をせずお上に逆らわず見舞金をもらうだけで良しとする患者からの、誹謗中傷も描かれていた。

 貧しい者同士、病む者同士で、見舞金をもらった家のことを「奇病長者」と呼んだり、さらには奇病に見せかけるニセ患者だとそしったり。しかし、働き手のいなくなった患者家族にとっては、見舞金は確かに暮らしの助けとなったのだった。

 さて、この村に住み、一番貧しい漁民の患者たちの側につくということは、どんなに大変なことだろうか。奇病に取り憑かれた(書かねばならない)と作者石牟礼 道子は書いているが、父上は「そんなことを書くのは、獄門ぞ」お上に盾突くな、と怒鳴ったとある。

 しかし、石牟礼氏の書き残したことは、未来永劫読みつがれなければならない。私達の宝となった。

 近代工業化と自然環境破壊、辺境の無学の人々と都会に住む高学歴の人々、つまり地方と都市の対立についても、問題は提起されている。

 二部の最後を抜粋する

 ・・・・会場に師匠の第一声がビシリと放たれた。「チッソに毒殺された、水俣病犠牲者の霊に奉る」 
 肺腑をえぐるとはこのような声であろうか。
・・・ 中略・・・日吉会長が歌い出しの先導をつとめた。ひたむきな、小学唱歌のような発声がよかった。婆さまや女房グループがあとに続いた。

   人のこの世は永くして
   かはらぬ春とおもへども
   はかなき夢となりにけり
   あつき涙のまごころを
   みたまの前に捧げつつ
   おもかげしのぶもかなしけれ
   しかはあれどもみ仏に
   救はれてゆく身にあらば
   思ひわずらふこともなく
   とこしへかけて安からむ
   南無大師遍照尊
   南無大師遍照尊

 白装束に鈴鉦を持って、水俣病患者であり遺族でもある婆様たちが、一株株主となり総会に乗り込み、御詠歌を練習してきたとおり歌った。そして、舞台に駆け上り遂に、ときの社長江頭氏と対面する。

 未読の方は是非読んで下さい。患者の苦しむ姿は、文字を追うだけでも辛いけれど、人間の魂は毒に冒されない。患者家族の嘆きだけが描かれているのではない。
 作者のふるさとを愛する気持ち、美しい海と空を畏敬する表現が素晴らしい。

 足尾銅山鉱毒事件、水俣病事件、そして福島第1原発の事故。周辺住民の犠牲を、私達は首肯してはならない。