昨日は72年目の敗戦記念日

 お盆のお墓参りを終えて、各地の川で灯篭流しが行われる日に全国戦没者慰霊祭が行われる。今年も、天皇陛下が長々と戦没者の霊と書かれた標柱に深々と礼をされた、

 この日が近づくと、テレビでは戦争にまつわる番組が多くなる。とくにNHKスペシアルは毎晩、72年目にわかったことだという番組を放送した。
 昨夜の『インパール作戦』についての回は本当に恐ろしい内容であった。5千人死ねば、インパールをとれると上層部は言った。一銭五厘で集められる庶民兵捨て駒だ。ただの百姓だったり、パン屋だったり、鍛冶屋だったり、ごく普通の国民を招集して、険しい山道を歩かせて、食糧も弾薬も補給無しで進軍させた。怪我をしたもの歩けなくなったもの、マラリアアメーバ赤痢などで病気になったものは切り捨てた。置き去りにするだけでなく、積極的に殺しもした。
 どの国民も天皇陛下の赤子であり、大将達と同じくひとつだけの命を持つ、大切な兵力だったはずなのに。

 人肉食も当然だったと証言する生還者。既に彼らも90歳近い。何故このような無謀な作戦を遂行してしまったのか。
 もし、軍上層部のなあなあの議論で「空気を読んで」決定したのだとしたら、ジャングルの中で今なお白骨のまま野ざらしになっている死者が、かわいそうでならない。断腸の思いだ。
 命令する側は、必ず安全なところにいて、危ないところからまっさきに逃げる。下っ端の武器を持たない小兵には、竹槍を持たせて戦えという。あるいは、爆弾を抱えて敵戦車に潜れと命令する。

 それが戦争だ。

 生還して、帰国できた人々が、あの惨劇を語り始めた。どうか言い遺してほしい。聞いて、聞いて、これを後世に伝えねばならない。

 綾瀬はるかのレポート、毒ガス製造の島も恐ろしいものだった。製造者のひとり91歳の老人は、語り続けたいと言った。
 初めは、毒ガス製造をするということを知らずに、雇われたのだが、日本国のため、正義のために中国人を殺すために毒ガス製造に励んだのだという。
 彼自身も、体がガスの影響でぼろぼろになった。下で働いていたものは、ガスマスク無しで作業をしていたので、皆慢性気管支炎になったり皮膚炎になったという。
 彼は、中国で実際に毒ガスが使用された村ヘ行き、謝罪したのだそうだ。彼は加害者であると自称した。胃がんで胃を切除しているから、少ししかご飯を食べられないが、それでも生き続けてこの事実を語り続けるのだ、と老人は毒ガスの化学式をスラスラと書いてみせた。