びっくりしたなあ、もう!

 8日帰宅すると、トランプ大統領が勝利宣言。ああ、びっくりした。ここまで現政権に失望していた人が多かったのか。不平不満をぶちまけたところで、何の解決。進歩もないのに。魂消た。

 昨日は驚いた。近所のお店で働いていた澄ちゃん(仮名)が、旦那と共にわが家へやって来て快気祝いをくれた。病院から退院したと報告に来てくれたのだ。持参した紙袋の中身は、源吉兆庵の栗やりんごの高級な和菓子の箱詰めと、なんとファミマで使える商品券を3000円。

 chosu-manmaのしたことは、彼女を心配して葉書きを描いて送っただけ。なんというお礼の気持ちをいただけたのでありましょうか。

 明日は、午前中に絵の勉強に行くから、その帰りに澄ちゃんの家へ寄らせてもらってもいいですか。と尋ねると、喜んで招待してくれたので、今日澄ちゃんのだんなに車で迎えに来てもらうと・・・。

「飯はまだでしょう。何がいいかな、寿司か、寿司がいいな」とひとりごちておじさんは、澄ちゃんの家に着くや否や、また車に乗って寿司を買って来てくれた。

 何ヶ月ぶりかの寿司は、コンビ二製かもしれないがいくらまでのっていて、うまかった。特上のものだ。うわあ、昼食時に他人の家へ伺うとは・・・しかも初めての御宅なのに。
 恥ずかしいが、うまいからしょうがない。平らげてしまった。蜜柑や落花生もお菓子も、うまいうまいと澄ちゃんといっしょにぱくぱく。

 澄ちゃんは、脳梗塞で倒れたが3ヶ月入院して点滴で回復し、リハビリしていたという。
 しかし、まだ動作はおぼつかないのだった。

 chosu-manmaの実母は、悪知恵の働く偽善者で、非常に癇癪もち。
 意地悪だ。
 一方、他人の澄ちゃんは本当に優しくて、chosu-manmの制作した人形を買ってくれたり、絵もいちいち誉めてくれるのだった。店長からは、「馬鹿だ馬鹿だ」と叱られているが、・・・・真に知恵があるのは、他人に優しくできる人なのではないだろうか。

 澄ちゃんに見せたくて、この日は鉛筆でガラスをデッサンする授業だったが、もう一冊ゴジラや野草を描いたスケッチブックも持参した。

 おじさんと澄ちゃんが気に入ったのは、ふたりの街の酒蔵のそばの田んぼの風景だった。

 それにしても驚いたのは、彼女が、なんというきれいな立派な家に住んでいるのかということ。
 
 澄ちゃんは、いつも小汚い格好で薄汚れたエプロンをして店番をしている。近所に大型スーパーマーケットが出来てからは、品数が減り、客もほとんど来ない。
 こども相手の駄菓子の売り上げが主だ。

 彼女の指先は絆創膏だらけ。爪も真っ黒だ。冬にはアカギレがひどい。chosu-manmaのふっくらしたきれいな手を、ほめてくれるが当人は恥ずかしかった。遊んで暮しているから、キレイナてなんだよ・・・。しゅーーん。

 きっと、澄ちゃんは、古いきたない貧乏な家に住んでいるのだろうとばかり思っていたのだ。

 ところが、まるで山のホテルのような、天井が高いワンルームのキッチンとリビングには柱もない。板張りでぴかぴかだ。
 二世帯住宅を10数年前に建てたとのことだが、、寝室の上には二階部分があるそうだが、通されたリビングは、本当に素晴らしかった。じじばばがすんでいるとは思えない、かわいらしい植木や花、ぬいぐるみがあちこちに配されて、秋の野の草も飾ってあった。

 帰りがけに握手すると、彼女の指先は、いつのまにかつるつるでピンク色になっていた。

 ただ、帰宅してふと気ずいた。自宅では店番の時と同じように、びろんびろんに首周りがのびただぶだぶのトレーナを着て、首の下の真ん中で、洗濯ばさみでそのゆとり部分を留めていた澄ちゃんの姿。いつものことだから、変に思わないのだった。

 しかし、chosu-manmaは、トイレでそのことを思い出して、笑いが5分くらい止まらなかった。

 早速、亡き母上の残した膨大な洋服を捨てられない友人に、少し捨てるものがあったら、くれないかと電話をしてみた。

 澄ちゃんに見てもらって、もし嫌がるのなら、無論差し上げることはしないが・・・。友人は、「普通は死んだ人の中古服など、誰でも、嫌がるものだ」とつれないのだった。