嬉し恥ずかし

 19日母と、同年代傘寿の知人S女史手紙が届いた。
 奇しくも、chosu-manmaの書いた手紙に感動した、感謝する、とある。

 嬉しくなった。しかし、一緒に指導してもらったあの画家の展覧会の様子はいかがでしたか、とある。

 chosu-pampaと一緒に行くはずだったが、彼の喘息の状態があまり良くないので、行くのは止めようか、どうしようかと迷っていたのに。

 いや、やはり行こう。歩ける時に歩いて行くのだ。いつか、歩けなくなる時も来るかも知れぬ。「自重で押しつぶされて、ゴジラは水から上がると死にます」映画とシン・ゴジラの中で、大杉 蓮の演じる頼りない首相はテレビで国民に呼びかけたが・・・。

 自重で腰が曲がり足が痛み、膝が重くて遠くまで歩けないchosu-manma。ゴジラのように押しつぶされそうだ、自らの重みで。ふふふと思いながら、21日 家人が出勤するのを待って、いざ! 出発した。

 銀座の小さな小さな画廊の、これまたこじんまりとしたところでたった6日間開かれている先生の動画作品を鑑賞して来た。観客は入れ替わり立ち替わり、数人しかいない。数分で出て行ってしまう人もいた。

 日本の四季折々の美しい情景が、詩に合わせてくるくると変わっていった。なんと生真面目な映像なのだろう。そう、先生はあまりにも、真面目で優しくて、燃え滾るような情熱を決して作品にも表そうとしないのだ。それとも、もう燃え滾ってはいないのか。まだ、彼は50歳。しかし、どの景色も静かでもの悲しいのだった。

 別室のギャラリーには、先生のいつものシリーズの絵があった。
これで、10万円?誰が買うんじゃい!と胸の中で突っ込んでいたら、当の先生が後ろに立って、にやにや。教え子の来訪を、先生は静かに喜んでいた。まさか、先生に会えるとは。げそっ。

 「素晴らしい、映像でした。おめでとうございます。」と冷静にお世辞を言えるchosu-manma。丁寧に挨拶をした。亡き父なら、金一封を画家にくれてやっただろう。無職の主婦には、何も出せない。

 先生は、小汚い教室でも、銀座でも同じ格好をしていた。アイロンをかけてぴんとしたシャツとジーンズに綺麗な運動靴を履いているのだった。

 帰りに煤けた画材店で、店先に一本50円と書いてあったので、7Hと5Hのユニ鉛筆と300円の絵手紙用葉書き30枚入りを買った。
 これに美しいものをいっぱいいっぱい描こう!! 皆に送ってやろう。

 銀座へ行くというのに、綺麗なよそ行きの服もないので、仕方なくユニクロのニットに、インド綿の更紗模様のピンクの大判スカーフを合わせて、ヤコフォームの黒皮靴を履いた。これは、もう20年くらい履いているが、足のむくんでいるchosu-manmaに、今もぴったりで長時間歩いても足が痛くならない。
 しかし、画廊のある雑居ビル街には着飾った人は少なく、たいていの人は観光しているわけではない。忙しそうに普段着で歩いているのだった。

 ウインドーショッピングもできない丸ビなchosu-manmaだが、持参した自宅の水道水を入れたペットボトルの水をちびちび呑みながら、帰りの道すがら、Sさんへ送る手紙のことを考えていた。

 chosu-manmaは、「芸術」を見に行けるこのプチ旅行に満足していた。彼女の言葉がなかったら、画廊へは行かなかったかもしれない。