生きていた三津子(または、三津夫)

 昨日は気が重かった。

 19日羽化したものの、左右の翅の重さが違うのか飛び立てなかった三津子(または三津夫)が、一昨日夜から動かなくなったのでchosuと、この子を葬らねばならないと思っていたから。

 chosu-pampaが「三津子は死んだよ」と、朝、死亡宣告を出して出勤した。

 chosuが昼になってやっと起きてきたので、三津子を見るとあれ、昨日と別の場所に居る。

 生きとる!生きとるやんけ!!

 ポカリを3日前に飲ませたのが良かったのか。

 ネット検索で、アゲハを飼育している人を真似て、chosuが 薄めた蜂蜜を与えてみることにした。ちゅうちゅうと音はしないが、三津子は口吻を突き出して、ペットボトルの中に満たされた蜂蜜水を呑もうと必死の姿を見せるのだった。 必死に生きんとする、小さな命に驚いた。

 熊本の被災者の人々に、どうか今の地震の恐怖に耐えて生き抜き、復興を信じてほしいと思う。家や財産、ご家族を亡くした方々も多いことだろう。その苦しみ、哀しみ、心の痛みは想像を絶する。しかし、どうか。どうか。誰でも、絶望的な情況にあっても、生きている間は、生きて行かねばならないのだ。

 この小さな蝶でさえ、生きていくことを諦めていない。

 蜂蜜を呑んだからか、元気を回復し、蠅帳をかぶせた即席の虫かごの中で、網に脚をかけてさかさまになって三津子はばたばたと歩き回り、落ち着かない。

 割り箸を立てて、中に入れるとやっとそれの天辺につかまり、じっとしてくれた。

 もしかしたら、三津子は飛べる様になるかも知れない。翅をぱたぱたと必死に動かして飛ぼうとしている。

ちょス飯の読書日記

 淋しい狩人 ★★★☆☆

淋しい狩人 (宮部みゆきEarly Collection)

淋しい狩人 (宮部みゆきEarly Collection)

再読。途中で読んだことがあることに気付いた。それは、こどもが虐待されているかもしれない、という短編「うそつき喇叭」の章で気付いた。自分が一番心を痛めたのは、こどもの身体に傷跡が合ったという箇所。
 他の内容はすべて忘れても、心が傷ついた箇所は憶えているものなのだ。

 古本屋のオヤジの昭和の捕り物風短編集

 後の大作「模倣犯」へもつながる 表題作。自分をアピールしたくて人の命を弄ぶ犯人。実は、こういう輩が、実際の社会に出てきている。
 やや、新鮮味にかける謎解きものなので、2☆マイナスとした。

 『虚言少年』 ★★★☆☆

虚言少年

虚言少年

最後の章は、「屁」がテーマで小学生が主人公なのだが、その博識ぶりに驚き、声を出して笑った。涙が出るほど大笑いした。
 「屁」は水木先生の大好きなものだった。京極先生が、水木しげるサンとのお別れの会の葉書きに、「人生は屁のようなもの」という水木先生の言葉を選んだ訳がよく分かった。
 京極氏も、「屁」教徒だったのだ。

小学生時代、学園のヒロインで学級委員だったわたくしには、目立ちたくないから、嘘をついてでも自分をその他大勢の書割人物としてのポジションをとって生きている子らのことを、全く知らなかった。
 そういう思考は、思いつかなかった。
 しかし、今やどの子も後ろ指差されぬように、あるいはいじめられないように、ハブにされぬように、演技して小学生生活を過ごしているのかもしれない。
 小学校を舞台にした、自意識過剰の少年達の面白小学生日記だ。
 やや中だるみの章もあったので、マイナス2☆とした。