4月2日 嫁が「その名を九郎判官・・・」と言うと

 「義経にしておけ。」

 と旦那が答える「青菜」という落語があるが、chosu-pampaが藤沢本町にある義経首塚を見に行こうと誘った。

 ふたりで、久しぶりに出かけた。義経の首は、奥州で自害後、ちょん切られて酒に漬けられ、鎌倉へ運ばれたという。往時の敗残者の宿命とはいえ、あまりに恐ろしい痛ましいことだ。

 腰越で「首検め」の後、義経の首級は海に投げ捨てられたが、潮の加減で川を上り、藤沢の地に流れ着いたので、地元の人が哀れに思い、井戸で首を清めて手厚く葬ったという。

 その首を洗ったという井戸や、義経の霊を慰める神社 白旗神社と、弁慶の首塚のある常光寺にもお参りしてきた。chosu-manmaの足は、前日のお花見で痛むのだが、chosu-pampaに付き合いたくて、頑張った。彼も、以前痛めた股関節が痛み出していたが、この探索は面白かった。江戸時代の人々が庚申信仰に熱狂していたことが、多くの碑が集められ建立されていたことで、よく分かった。自分達の悪行を天帝に、知られないように世を徹して、酒盛りをするなんて、面白い習わしだ。地元の人々の交流の場でもあり、村八分にする人を決めたり、逆に困窮者を見つけて皆で、相談する場であったかもしれない。
 米沢 穂信の『リカーシブル』を思い出した。
 
 石碑はどれもみすぼらしいものだったが、それを囲む周りの木々の大きさに度肝を抜かれた。土地を切り売りしたのか、随分小さい場所にそれぞれが祭られていたが、昔から生えている大木は数本が残っており、中には雷に撃たれて、中身が丸こげの銀杏や椎の樹(かな?)もあったが、それでも、幹だけで葉を芽吹かせているのだった。

 常光寺の墓地には樹齢300年というかやの木が聳え立っており、その生命のほとばしりに驚かされたが、もっと驚いたのは、野口米二郎の辞世の句碑があった事だ。彼の功績は記者としても、詩人としても教育者としても確かに大きいのだが、イサムノグチの父親であるという最大の功績については、一文もなかった。

 映画『レオニー』では、イサムの母(アメリカ人)を正妻にしなかったこと、彼女がひとりで彼を育てたことが描かれていたっけ。

 chosu家は今や全員、病気持ちとなった。老化は病気ではないが、皆が健康になれるというので白旗神社で弁慶の力石にあやかる小石のお守り1000円を購入。ご朱印帳を書いてもらい300円。chosuがいつか人間の女性を愛せるようにと、恋みくじ100円を引いてみると・・・・なんと大吉。義経参りで、彼女が出来るかもしれないなあ。