わが母の記

 変わっているとは思っていたが・・・
 調布でガメラに出会ったこと、フランス語の勉強を終了して100点取ったこと、夫の大好きな〇ちゃんコンサートに出かけたこと・・・どれも楽しい私のビッグニュース。母の手編みのスーツを着て、微笑む私の写真をコピー同封して母に書き送った。

 返事は相変わらす来なかったが・・・

 弟より、メール。母が手紙を見ていつも「chosu-manmaときたら、身分不相応にフランス語を習ったり、貧乏なくせに遊んでばかりいる」と怒るので自分が「人生を楽しんでいるのだから」と宥めているとある。私からの喜びの手紙の感想が、やっかみひがみ嫉妬でいきまく種になっていたとは。

 そうだろうな、とも思えるが。

 彼女自身は、自分の娯楽に金を使うことは大好きだが、娘に金をやるのは絶対にいや。貧乏と言うことを、激しく蔑む。自身が貧乏な生まれだからだろうが・・・結婚して父とふたりかなり儲けだして、50年間は裕福に暮らした。
 
 そのことを、つい、離れて暮らしていると忘れてしまう。その時々の母にされた仕打ちや悔しい思いを、何故か修正してしまうのか、彼女が恋しいのだ。「どうしているかな、大丈夫かな」、と。

 こんな素晴らしいことがあったよ。お母さん、娘の活躍をどうか一緒に喜んで下さい!

 だが、夫の稼ぎで夫の意向で楽しんできたプチ旅のことを、彼女の財産を一円も減らしたわけでもないのに、「貧乏人のくせに」とののしられていたのかと知り、大ショック。

 chosuは、おじさんの発言はおじさんの真実に過ぎない。まあ、ばあちゃんがそういう人だと、もうわかっていたはずだ、と言うが。

 chosu-pampaは、はっきり憎まれていると自覚。理由は安月給だから。「面白い人だ」と思えば良いよ。