6日はかぎが無い!
暑いくらいの快晴の昨日。日傘はあるが、かぎがない!
うーーーん。婦人科で子宮頸がんの検査後、帰宅。背負ったリュックから鍵を取り出そうとしたが・・・・noihing! noihing! noihing! その中に鍵は不在。ナッシッング!
マン友の三人を訪ねるも・・・みんなみんな不在。小人ハウス(chosu-manma宅)隣のばあちゃんはいるだろうが、一度も入室を許可されたことの無いご仁宅へは、さすがのchosu-manmaでもピンポンできず。
ええいっ。「待つのだ」「待て、そして希望を持て。」
ふはっ。
病院の待ち時間に読もうと持って行っていた、大江健三郎著『水死』。これを読んでドアの前に立ったり座ったり。しかし、これが、面白くない。文章が翻訳態のようで・・・読み辛い。読み進まない。尿意もだんだん・・・。限界ぎりぎり。
しかし、一時間半後、遂に早番のchosu-pampaが帰宅した!
どこかの店にでも行けば、トイレもあるし椅子もあった。時間も潰せたのになあ。
7日は、泌尿器科へ。人気爆発だとかで、11時に病院到着、16まで待てとのこと。一旦帰宅して戻って来て、と言われたが、交通費が勿体無い。
延々と待つ。
幸い、ロビーの長椅子は、ふかふかなものに変わっており患者も少ない。寝たり起きたり、腹ばいになったりして『水死』を読み続けた。
天下のノーベル賞受賞作家の文章を初めて読んで待っていた。
今までに彼の作品も川端康成の作品も、chosu-manmaは、ほとんど読んだことがなかった。少しずつ読んでみようかな。
やっと自分の番。決死の覚悟で、尿道口を診察してもらう。「異常ないですよ。三ヵ月後にまた見せてください。」うーん。
嬉しいような、悲しいような・・・。「腫瘍があるのでは、悪性では?」と右往左往した滑稽なchosu-manma。
自分の腹や太ももが太りすぎで脂肪の塊で、醜くてこれを曝け出すのは、恥じ入るばかり。まして・・・早期発見のためであっても、内診は、50過ぎても厭なものだ・・・。
心中大騒ぎして、内診を決意したのだが、終わってみれば、何ともなし。
chosu-manmaは、父の言葉を思い出す。
前立腺がんの検査で、下半身を丸出しにして、肛門から睾丸を調べなければならぬとき、父は付き添いも頼まず、一人で診察を受けた。さぞ、恥ずかしかったでしょう、と問うと「どうもないよ」
自分の体のどの部分も、治療のために医師に見せることを、恥じることがあろうか。
病気があれば、早期に発見して治す。治らなければ諦める。それだけだ。
命が一番大切なのだ。体の部分ではない、一部ではない。切り捨てても、削り取っても生きねばならぬ。
しかしどの部分も、大切な自分の部品。診察をためらうことも恥らうことも無い。