二月六日、七日ノコト

 【二月六日】昨年の夕方、四時半父は誰にも看取られず亡くなった。また明日も、その次の日も虫の息ながらも彼は生きているだろうと、最後に世話をしてくれた従姉は思っていたそうだ。誰もがそう思っていた。前日には従姉のRちゃんが「弱っているもののたくさん話ができたよ、桜が見られるまできっと大丈夫だよ」と父の病室からメールをくれた。私は、「父はまだ死なない、出かけてもいいだろう」と判断。三月に一度の通院日だったのでS大付属病院へ行き、待っている間に売店でUCC缶コーヒーを買った。ふと見ると、缶にいつもと違う、船の模様が。ブラジル移民百周年記念の笠戸丸の絵が付いていたので、父に是非見せてやろうと思ったのだ。今から24年前、父はブラジルへ行った。自分たちの出資した牧場を視察する旅だったが、ペルー、パラグアイにも立ち寄り一月間も周遊して帰国した。その旅は父の人生最大のイベントだっただろう。
 牧場のこどもがはだしで、家族総出で働き学校へも行っていない姿を父は哀れんだ。けれど、そこで働く人たちは、とても明るくて、皆日本からの客人たちを大歓迎してくれた。牛一頭を丸焼きにして、岩塩と胡椒の粒をミルで挽いてかけただけの味付けで食べたそうだ。味は日本の肉とまるで違い、うまくなかった。日本ほど良い国はない。との感想だった。
 後日、その牧場は破綻。結局、S県会議員の「大法螺・儲け話」を信じて、零細企業の社長たちがみな詐欺にあったのである。皆は何も知らぬ間に加害者として告発され、長年の裁判がやっと和解により収拾。一人頭300万円くらいを払わされたようだ。騙した相手〔発覚直後頓死〕を父は全然恨まなかったどころか、気の毒がっていた。まったくのお人よしで、出資金、配当金も一切もらえなかったのに。
 はははははは

 夜亡き父、夫の恩師・友人の慰霊祭のため大輪の白菊五本を飾る。家族で焼香。お父さん天国で先輩方と仲良くくらしていますか。新入りも仲間に入れてあげてほしい。

【二月七日】
 chosu-pampaのリクルートスーツの直しが出来、ふたりで受け取りに。ぴったりとフィット。どうか、良い転職先が見つかりますように。心身を充分休めて健康になってから、就職してほしいものだが・・・。貯金はどんどん減っている。今月中に決められれば良いのだが。焦らずいこう。だるまさんに左眼を入れた。
 恩人Yさんの令妹より贈られたシンビジュームに新しい花がむくむくとふっくらと咲き始めた。きっと、私たちを見守っていてくれる。なんら不安なしでいこう、。空の鳥を、地の百合を見よ、と。「なんとかなる」病でいこう!
 
 けれどフハッ。もう生活費の減らしようがない。食費だけだ。夕食に鶏胸肉のカツを作る。300円で三人分のメインディッシュになった。chosu-manmaは、清貧家。