ジュリー!!
先日放映された内田裕也の半生を追ったドキュメント番組で、沢田研二をメジャーデビューさせたのは内田だとご当人が言っていた。今は亡き樹木希林が、愛する夫の一代記を渾身で語ったが、・・・。彼女がまだ30代だった頃、おばあさん役で出ていたドラマ「寺内貫太郎一家」の中で唐突に「ジュリー」と身悶えしてジュリーのポスターに呼びかける場面があった。
先日彼女と同じ気持ちで、ジュリーの70歳記念ライブツアーへ夫とともに行った。
テレビに出なくなったジュリーはあごひげをはやしていて、灰色の髪をしていた。内容は今後、彼のショーを見に行く人もいるかも知れないから詳細を書かない。私達も、今のジュリーがどんなふうか、どんなコンサート内容なのか一切情報を持たずに見に行って、より一層感激できたから。
彼は大手プロダクションを離れて、わが道を歩いている。途中人気に陰りがでたこともあったそうだが、ジュリー教信者ともいえる彼の信奉者は、彼を見捨てなかった。彼は「9条守れ、原発やめろ」という歌を歌っている。じじいになってもロックンローラーで行くと。80歳までやると。
彼の容貌はまさに、じいさんだったが、歌声は美しく高温がよく出ていた。本当に力強い若々しい歌声だった。今、歌いたい歌をうたうのだ、と彼は言った。2曲以外は知らない曲だったが、立ち見で踊っている人々は、うまく手拍子をしてジュリーと同じタイミングで拳を振り上げていた。
沢田研二(愛称ジュリー)は、18歳の頃京都でバンド活動をしていて、内田などの紹介で東京へでてきて、グループサウンズ「タイガース」としてデビュー。商業ベースに乗って人気者になったのだが、4年の活動後に解散し、やがてソロになり流行歌手となった。だが、彼は誰もやったことのないパフォーマンスをしてみせた。すなわち、発表する曲ごとに髪型も衣装もメイクも変えていったのだ。とくに赤い軍服のような格好でパラシュートを背負って、扇風機で風を受けて、曲の途中では、コンタクトを入れて、瞳を金色の目に変えるという「トキオ」。これには、ぶったまげた。
その頃の妖艶でかっこいいジュリーが好きだった。どの曲も名曲だったし、ヒットした。しかし・・・。古希のじじいになっても、怪気炎を上げ続けるジュリーにやっと、彼の真髄を見た気がする。あるいは、彼も転がりながら成長、変化してこうなっていったのだろうか。
伴奏者 柴山和彦というギタリストもすごかった。全曲を暗譜でジュリーの息に合わせて演奏したから。chosu-pampaは会場の音響が悪いので、ギターの音色がはっきりせず、演奏はいまいちだったなどと言った。無論ジュリーも全曲を、暗譜で歌った。音程も歌詞も完璧だった、と思う。
ショーの後で、今年3.11にリリースされたCDを買い、原発再稼働に反対する署名も、売店の隅でやっているグループがいたので、もちろん夫婦で賛同して協力した。
傘寿記念ツアーも見に行こう。それまで、cyosu-manmaは生きて行こう。お金も貯めて。8000円のチケット代は高かった。