昨日五郎が死んだ

 涙が止まらなかった。五郎とは、石牟礼道子著『西南役伝説』

 の中で語られる、乞食の狂女おえんしゃまの犬のこと。昨日読んだので、昨日五郎は死んだのだ。私のなかでは。
 おえんに悪さをしようと近づいてくる男どもを、決して許さず、吠え立て噛み付いて守ってきた犬だが、五郎が死んでしまうと、たちまちおえんは、何者かにあるいは何者達かに、犯されて妊娠させられてしまう。
 そして、ただひとりで浜辺の砂上で赤子を産み落として、死んでしまったという。産んだ赤子は、見当たらなかったので、おそらく波にさらわれて、鱶(ふか)に食べられたかもしれない、と老女は語る。

 あまりにも酷い。村人は、おえんに食べ物や着物を与えていたが、腹ボテになっても家に引き取ってくれる人とてなく、死んでいったという。

 元々は、下級武士の娘だったが、ご維新後によほど困窮したのかこの家は侍株を売り、女郎屋に娘おえんを売った。おえんは、そこで発狂してしまう。客に噛み付いたりするのだった。
これは、
 西郷どんと官軍の戦いのとき、農民や漁民はどうしていたのか。地元の長寿者を尋ねて、そのじいさんばあさんの思い出話を、石牟礼が記録した作品。

 狂女でも、犬や猫や魚に自分の食べ物を分け与え、彼らと心を通じ言葉をかけていたおえんが、哀れだ。彼女は、そこらここらの道端ににわらしべを結んでは、撒いて歩いていたので、死後もたくさんの茸を生やさせた、という。