石牟礼道子さんを送る

 15日有楽町マリオン内朝日ホールへ。
 chosu-manmaのような、中高年の女性が大勢詰めかけていた。おじいさんも多かった。若者は少なかったが、皆一輪の花を舞台に置かれた長机に置いた。
 彼女の大きな遺影は、笑顔。素晴らしい笑顔だった。

 11人の論客が、彼女との思い出を語った。

 午後2時の開場だったが、一般の人より1時間早く美智子皇后が花を手向けにやってこられたそうだ。涙が出た。
 道子さんのご長男は、母がさぞ喜んだことでしょうと言いたかったが、恐れ多くてなんと答礼したらよいかわからなくなったそうだ。

 3時から6時まで、水俣フォーラムの実川氏の司会でそうそうたる知識人たちが、千人余りの道子さんの読者、信奉者たちに彼女の功績への賛辞とともに、素顔のぼけたところやお茶目なところも語ってくれた。ひとつだけ残念だったのは、登壇予定だった澤地久枝氏が、国会デモに出ておられて体調を崩し、欠席だったこと。彼女も行動する作家なのだなあ、と感心したがお声を聞きたかった。

 chosu-manmaは、案内状に野の花を一輪持参してほしいと描いてあったが、花を摘んでこられなかった。遺影の左右の献花台には、何重にもお花が積み上げられていた。
 閉会後司会者から、故人が皆に持って帰ってもらいたがるだろうから、と参拝客にお花をもらっていってほしいと言われた。しかし、もらわずに帰る人のほうが多くて、まだまだ花が残りそうだったので、3束をもらって帰った。欲深いchosu-manma。

 野の花達はもう萎れてきていたので、早く水につけてやりたくて、chosu-manmaは飲まず喰わずで会場を後にした。

 それぞれの供花は、絵に描いておこう。

 会場に入りきれなかった人たちは、下の階でモニターを見ていたという。その会場の入口には、石川さゆりさんからの大きな献花が。置いてあった。