草間 弥生展

 国立新美術館へchosu-pampaと見に行った。
 ココまで行くのが、足萎えの身には精一杯。会場は車椅子で回った。chosu-pampaの押し具合は天下一品だ。

 会場に入ると広い広いスペースに壁画がびっしり。真ん中には目ン玉が花芯にある大きな玩具のようなお花たち。ココは、自由に写真撮影ができる空間だった。
 面白い。ふざけてこどもが描き続ける絵に似ている。
 点々で埋め尽くされた画面や、うねうねと永遠に続く網目。ふといふとい綱引きのような網目もある。目玉虫や、横顔の延々と続く模様。おもしろい顔など、らくがきのようだ。自由自由、自由な絵たちだ。
 
 しかし、初期の作品は重々しく具象画はあまりなかったが、心の叫びを感じるもので、痛い感じがするのだった。

 草間氏は、幼いころ傷ついた心でいた。両親の不和と母親の強迫神経症?からの心理的虐待を受け続けていた。大好きな絵を描くことを取り上げられて、自殺をしようとしたこともあったという。

 彼女自身も、母親同様に精神の病 (統合失調症か)とともに生きていると思う。
 
 不思議なことだが、辛い目に遭い苦しみを受けることで、彼女は描かねばならなくなったのではないだろうか。今や、世界的な名声も莫大なお金も、身の回りの世話そしてくれる人も彼女は手に入れた。安心して、遊んでいられるのに、彼女は絵を描き続けたい、もうすぐ死ぬだろうが死んでも描き続けたいという。
 その執念、迫力に圧倒されて、そして楽しくなってきた。

 とくに、無数の天の川の綺羅星のようなLEDライトを、雨のように垂らした部屋はすごかった。暗闇が数秒続き、その後点滅してひとつひとつのライトの色が変化するのだ。
 足元は、アクリル板でその下に鏡があるのか、ずっとずっと永遠に星の点滅が左右上下天井も床も続いているので。恐ろしくて美しい。わたくしたち観客も、ここを通ることで、彼女の作品を完成させているのだった。

 これが、自分も宇宙に浮かぶ「ちり」となって、水玉と同化したということなのだろうか。彼女は、水玉を体中に描いて、背景にも水玉を描くことで、「わたしの消滅」としている。