東日本大震災から7年目の始まり

 またこの日がきた。
 この日chosu-manmaタウンも震度5弱の横揺れがあった。それが、何分も続いた気がしたが、実際は断続的に数分間3度揺れた。
 周りの人は皆平静だった。
 
 「ここは震源地からは大分離れているだろう、しかし揺れる時間が、ここまで長いということは震源地はかなり大きな地震のはずだ」と直感した。
 それなのに、友人と安売りスーパーでおしゃべりを楽しんだ数分後外へ出て、バスを待っている間にこの地震に遭ったのに、chosu-manmaときた帰宅せず、駅へ向かった。入会したばかりのスポーツクラブへ行くために。あほうだった。

 chosu-manma駅も街中も混乱はなかったが、あるスーパーのスプリンクラーが過剰反応して、店の前の道まで泡だらけにした。二階の窓が割れて、勢い良く消火剤を噴出したのだった。
 chosu-manmaは「今日はお休みです」とスポーツクラブの入り口で追い払われた。壁が壊れるなどの被害があったらしい。
 後で同じマンションの友人は入浴中に地震が来て、皆裸で大慌てしたと教えてくれた。

 公園の公衆電話に並んで、やっと自宅へ連絡。青い顔をしていただろうchosuが「お母様が無事でよかった」と言った。
 chosu-pampaは帰宅できず、携帯も連絡が不能となった。

 しかし、夕方帰宅して被災地状況がテレビに映し出されたのを見たときには、これは現実に起こったことなのかと驚嘆した。やはり、この日の前から地震があった地域福島県沖が震源地だという。大勢の人が津波に呑み込まれた。そして、まだ生きているかもしれない人々を、救い出せない状況が起きた。
 福島第一原発が、冷却水の電源を喪失して、放射能が拡散してしまったのだ。

 あのときほど、恐ろしいことはなかった。脱力した。
  
 ああ、地震津波、火山噴火、台風、雷は人間の力では防ぎようがない、だたオロオロするだけだ。しかし、原子力発電所の事故だけは、人知を尽くして防がなければならない。できないのなら、もう原発は徐々にで良いから廃炉にするべきだ。
 除染が終わったからと帰還を促しているが、やはり目に見えぬ放射能の影響を恐れる人々は、避難先で住み続けようとしている。
 どうか、どうか地獄より恐ろしい、筆舌に尽くしがたい目に遭って故郷から離れてく暮らす人々を、その子どもたちをいじめるようなことは、もうやめよう。

 自然災害に立ち向かうことはできない人間が、ひとつだけできることは、被災して苦しんでいる人々に手を差し伸べて、これ以上辛い思いをしなくて済むように助けること、支えることだ。