ちょス飯の読書日記
『曼荼羅道』 ★★★★★
- 作者: 坂東真砂子
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2001/11
- メディア: 単行本
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『隠された刻』と対をなしているようだ。
非常に面白い。戦前に富山の薬売りが南洋まで出かけて行っていたとは知らなかった。南洋どころか、日本軍が進攻して行った国々へ、薬を届けたという。
マレー半島で、薬売りの男・蓮太郎に紙風船をもらった現地の森に住む一族の娘「サヤ」が、やがて彼の現地妻となり息子・勇を産む。
戦後サヤは、引き揚げ船に乗りピーをさせられていたころ知り合った在日朝鮮人の女にもらった身分証を持って、彼女になりすまして、富山に息子を連れてやってくる。
物語の一番の肝は、枚挙に暇が無い。サヤが自分を捨てた男を殺すために片目刀を持って来たのに、恨みや憎しみを昇華していくところ。
また、とくに感銘を受けたのは、戦中、中国で極悪非道の限りをして来た元日本兵小原が、戦後70年近く経ても自分の犯したことを英雄気取りでまくし立て、してきたことを隠して平然と生きている人たちを批判して最後は、発狂していくところ。
原爆を落とされた広島を引き揚げて来る途中で見たサヤの息子勇が、「神」目線のアメリカにとって、シロアリかゴキブリのように日本人は見えたのだろう、ゴミとして焼き払われたのだ、と後に回想するところ。
日本兵がいくら、東南アジア諸国で残虐非道なことをしたとしても、それは人対人の所業だった。
慰安所の、ピーとされた女たちの悲惨さむごたらしさも描かれている。男の暴力と性衝動の重なりの場面も、恐ろしいが真実だろうと納得した。
おとなしいエリート会社員だった薬売りのじいさんの孫息子麻史が、曼荼羅道で迷い、未来をさまよう。そこは、廃墟となった未来の街。立枯病で、大多数の者は死に、生き残ったものは、殺し合い喰らいあって生きている。弱い少年を、じいさんが叩き殺した。それを許せなくて、遂に彼も、じいさんと闘い殺してしまう。そして、ケスンバ(サヤの本名、少女の姿)を犯そうとしてしまう。ケカーが二つの頭を持つ犬として、ケスンバに付き添い助けるが、過去では彼女を愛し、苦境から救い出し、死んでからも守っていてくれる、兄ケカーであった。
死して尚、愛するものを導き守る者。
サヤが持参した薬になる故郷の森の木の種を、富山の地に蒔き育てそこを森にしてしまうが、森の民への尊敬を感じる。サヤが、神々しい。
曼荼羅道の先頭を歩く、ぼろを被ったばあさんの正体に、あっと驚いて納得した。女、それぞれの立場の喜びと苦悩。筆者は女にエールを送っている。
ごくごく、当たり前の平凡な人々の登場する物語なのに、小さな家庭の問題を描いて、非常に大きな普遍的な物語としている。
伏線の回収があまりに、見事。薬懸帳がクッキーの缶まで、きちんと書かれている。
筆者は、自慰行為を賛美、女と男の性の喜びと哀しみを描ききった。ケスンバの鼻歌が重要な場面に書かれているが、惜しいかな楽譜をつけて欲しかった。「ふうん、ふううん」では。どんな音なのか想像できない。
まるで、自分の死が目近に迫っていたことを知って筆者は、遺言のように言いたいことすべてを入れて、これを書いたかのようだ。
これは、いずれ映画化されるでしょう。