4年10ヶ月 ちらし配布業廃業

 ちらし配りなら、できる。
平成21年の終わり頃chosuが言った。ほな、やってみよう。学生は不可だったのでchosu-manmaが説明会に行き、即登録してもらえた。

 二社と契約したが(雇用形態は請負で個人時業主となった)、一社は2ヶ月ほどで、音を上げて辞めた。一枚2円だが広域を頼まれたが、行ったこともない街の路地で道に迷い、とても、配りきれなかった。現地までの交通費も出ない。一日で豆が出来て、潰れた。chosuとふたりで地図と磁石を持って、頑張ったがこれは大変な知力と体力が要る仕事だと思った。われわれには、無理だったのだ。

 もう一社は月二回の情報誌500部の仕事だったが、こちらは良心的な会社平成22年2月に契約。
 その後の不況で結局、月一回の仕事になってしまったが、織り込みチラシの量で3000円から5000円の月給だった。

 chosuがアルバイトを始めた昨年4月から、chosu-manmaは1人で頑張った。

 だが、実働10時間がたった3000円では、とてもやってられない。頚椎症はほぼ良くなったが、腰痛ととくに膝痛がひどくなってしまったのでとうとう辞めることになった。
 2ヶ月前に願い出て、やっと放免に。未だ替わりの人は名乗りを上げない。

 さようなら、この5年間のちらし請負人生活

 見知らぬ人のポストに通算100回くらい配っただろうか。小さなお庭や玄関先に四季折々の花を咲かせるお宅、お金持ちの綺麗な家などを見せてもらった。また、ぼうぼうに荒れ果てた庭の家、いかにも貧しげなぼろぼろの家もあった。
 無くなってしまった家もある。アジサイに覆われていた小さな貸家。今は取り壊されて、瀟洒な2階建てのアパートになっている。あの住人はいずこへ・・・。

 一軒一軒に「ありがとう。もう来月から来ません。」と心の中で挨拶。

 「そんなゴミになるもん、入れてくれるな!」と言ったおばさんの家の前を通ると・・・。(無論ずっと入れないでいた。)

 丁度新聞の回収日だったらしく多くの家の玄関に、袋に入れられた新聞が置かれていた。丁寧に縛って出す人、テーピングの人、ごちゃごちゃの人・・・。そのおばさんの出し方は、ひどい乱雑なものだった。

 彼女は余程几帳面で綺麗好きな人なのだろうと、この5年間思っていたのに。