老いる

 出発するまでは、どよーーんと気が重く全く嫌だったが・・・
夫の両親に、なんとかchosuを会わせねばならぬと、宥めすかし、説得し続けて5年も過ぎてしまった。私の父の葬儀以来の祖父母と孫の再会の旅に行って来た。

 chosuは大学生になった8年前から、1万円ずつ小遣いをもらい続けて、結局何も買わず、お礼も言わず・・・。手紙は、書かせて来たものの・・・。

 奴もアルバイトを始めて1年過ぎた。
 無事に社会へ出て数万円の賃金ながら、働ける人となった。居候代を2万円と電気代2千円も入れてくれる。「もう、いいべ。恥ずかしくない大人になったべ。だから、いよいよ、ばあちゃんに少しでも恩返しをするべし。」
 chosu-manmaに、くどくど言われて遂に、chosuは立ち上がった。
 だがというか、やはり出発の朝chosuは腹痛に見舞われる。準備万端整えてから、ダウンした。セイロガンを飲んで、横になり休憩。予定より1時間遅れて午前10時、親子3人で、いざchosu-pampaの実家へ。
 chosuは、約束したことは決して破らない。chosu-manmaは、そう、仕込んだ。

夫子の休みを合わせて、chosu一家は5年ぶりの親子旅。chosuが、電車・バスに乗るのも数年ぶりだ。
 普通電車で7時間余。やっとやっと辿り着くと、いつも通りばあちゃんのおいしいおいしい手料理が待っていた。だが、・・・「ややっ、これは。」
 いつも、義母の手料理の多さに辟易していた。卓上一杯お皿を並べて「あれも食べろ。これも食べろ。」とうるさいのだった。
 鯵の塩焼き、味噌汁、かぼちゃとじゃがいもの煮物、サラダ。わが家の夕食と変わらない。どれも、薄味で、健康的なおいしい、おいしいものだったが・・・

 あらら家の中も、きたない。狭い室内が、ますますもので占領されてしまった。
「ここ一週間忙しくて掃除できなかった」と言う。布団も、準備していない。今までは、旅館のように綺麗にして、私たちの泊まる部屋には、乾燥機でふかふかにした布団を、敷いて待っていてくれたのに。

 彼女も77才。老いたのだと思った。今まで、私たちが到来する時は、家中ピカピカにして、気を遣っていてくれたのだ。滅多に帰って来ない息子一家のために、大大ご馳走を準備していてくれたのだ。
 どたばたと駆け回り、普段は食べない贅沢なものを一杯買って来て、何時間も台所に立ち、準備してくれていたのだろう。
 私たちを客扱いをしてくれていたのに、ずっとこれが当たり前だと思っていたchosu-manma。

 前回は、私に対していらいらして顔をゆがめていた義母だったが、・・・今回孫の顔を見られたからか、終始ご機嫌だった。
 
 義父は老人会の会長職で忙しく、ふたりとも老後と言うより、現役時代より、外へ出て刺激のある日々を送っている。家の中はもので溢れ帰り、築60年近くなった古家は傾いてしまった。玄関はガタピシで、戸が重くて開け閉めが大変だ。ごめんなさい。援助されるばかりで、何もして上げられない。
 申し訳ない気持ちで一杯だ。

 chosuが、かねてからの約束どおり、翌日の夕飯を作ることに、義母は驚嘆してくれた。「じいちゃんも作ってくれたら良いのに・・・一週間に一日でも」、と本音を漏らした。そうか、じいちゃんは、朝昼晩、ばあちゃんの手料理を喰っているのか。それで、あんな大きなスイカ腹を維持してきたのか。
 嫁の私には、鮎を釣って来て食べさせてくれたり、豆腐のステーキを作ってくれたことがあったので、古女房にも普段から作っているかと思っていたのに。
 
 彼女は、灰色、黒、茶色などの地味な服ばかり持っている。が、カラオケ教室に出かける時に、化繊のぱりっとした上着を着ていたので、「素敵ですね」とchosu-manmaが言うと、「これも10年前のものだけど・・・」と言う。もしかしたら、本当はもっとお洒落を楽しみたいのでは?と思った。

 ペタンク、グラウンドゴルフとカラオケに通っている義母。気の合う仲間と楽しんでいるのなら良いが・・・スポーツ大会で優勝する程の強豪チームにいるので、誇らしい反面、プレッシャーも多いことだろう。
 勝ち負けなどにこだわらず、気ままに健康のためにやればストレス発散だが、チームには我儘な、実力者ババアがいるようだ。
 良い人過ぎる義母。正しいことばかり強要し説教するので、chosu-manmaにはずっと鬱陶しい存在だったが、今回の旅で俄然彼女の本音を知り、彼女を好きになってしまった。