『おひさま』終了、夫婦でジャズを
1日
『おひさま』最終回を見てから、外国語学習に出かけた。
いくこが、黒柳徹子になったので笑った。「死なないことにするわ。そうしましょう、私達って馬鹿みたい。」あははははと言うのは良かった。
陽子の母は亡くなっても、家族の心中で生き続けている。励まし続けている。
どうか、大震災でいきなり家族を亡くした人たちも、その人たちを心のなかで生かして、心の中に太陽を持ってほしい。と、脚本家は願っていたと思う。
だんだん分からなくなってきたのでどうか指名されませんようにと念じていたら、ほっとした。でも、簡単な問題の時は当ててほしかった。
chosu-pampaが、授業後にやってきて夕方のジャズミニライブまで待つと言う。一緒にランチをたべようとしたら、同級生二人が隣に座れという。恥ずかしがりやのchosu-pampaも交えて、歓談。彼も、まんざら年取った女性と話すのも悪くない様子。
食後、古いイタリア映画『ひまわり』を二人で見る。ジョバンナが、やっと探し当てた夫アントニオを見るなり、彼の乗って来た汽車の飛び乗る。その場面でchosu-pampaは、大粒の涙を鎌倉大仏の手ぬぐいで拭いた。
有名な名作だが、chosu-manmaは初めて観た。★★★★★評価。単純なストーリー。始まりは、面白い。町の人々がくりだして、アントニオの狂言を見に集まる。懐かしい場面だ。日本も、昼間暇な人であふれ町の事件に皆が集まった時代があった。
戦後のロシア・イタリアの風景が、日本にも似ていた。つつましく貧しい小さな家から、アントニオ一家が団地に引っ越すところや、帰国した彼がジョバンナに電話する店では、テレビを見るための席があり、大人もこどもも集まっていた。子どもは寝ていた。
ロシアの広大なひまわり畑の土の下に、夥しい兵士たちイタリア人もドイツ人もロシア人が眠っているという。兵士だけではない。多くの老人も女もこどもたちも。
愛するものが引き裂かれ、生延びても帰れなくなったり、新しい不幸を産み続ける、それが戦争だ。
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夕方のジャズライブは、楽しかった。
オルガン弾きの爺さんがリーダーのギター、ドラム、テナーサックスのバンド。生かす。爺さんの、原発事故への憤りの語りも即興で演奏された。
帰りは、9時半。chosuが、遊び疲れた両親のために生姜焼きを焼いて待っていた。子のいる有り難さかな。