寒い

 5/29〜6/1まで、右手を怪我した母を見舞う。23日、椅子から倒れ手首を骨折し、仏壇のろうそく立てが突き刺さる裂傷。4週間で回復できるということだが・・・・
 普通列車で7時間。ふるさとは遠い。

 思いのほか元気で安心した。孫も兄嫁も付いていてくれる。5月半ばにあいついで亡くなった親友Zちゃんの母上とT叔父の弔問、ふたりの叔父の一周忌、3回忌の弔問もできた。それぞれの未亡人ともなごやかに交流。ついでにJくんのプレ誕生日会も。

 母は、見舞いを喜んでくれたが、・・・。実家までの交通費を出してくれぬのは、仕方ないが・・・。「T叔父宅までの交通費と饅頭代を、下さい」と言うと「なら行かなくて良い、そんな金はない。」と烈火のごとく怒った。
 chosu-manmaは、小さい頃から決して甘えず、ましてお金をくれとは言えない誇り高き娘だったのに。pampaの給料で、ここまで来る交通費で1万5千円。さらに今月は2万円の香典を出して大赤字なのに。
 確かに、「見舞いに来て」とは言われていない。
 しかし、叔父宅まではわずか2000円の交通費、饅頭代1000円を惜しむとは。怒りを爆発させるとは。 
 お金を自分の財布から、絶対に出したくないのだ。びっくりした。母は恐らく金を取られてたまるか、という体制に入ったのだ。chosuは、ばばの態度はずっと一貫している。以前と同じだと言う。pampaは、認知症だろうと言う。
 T叔父夫婦は、亡き父のために何度も見舞ってくれた。父の死後も頻繁にお供えを持ってきてくれていたというのに。chosu-manmaは、なけなしの金でのど飴2袋を買い、叔父宅へ向かった。

 すると、叔父の娘は非常に感激してくれて、2万円も交通費の足しにしてとchosu-manmaに恵んでくれた。お蔭で昨夜自宅へ戻れた。弟Jの50才の誕生日会も、[31日夜そのお金でできた。赤飯を炊き、サーモンとアボカドの盛り合わせ、チンジャオロースー、半熟卵とポテトサラダ・・・・
いつもは、chosu-manmaの作る料理を決して食べない母が、孫たちと一緒に食べてくれた。歯の悪い母とJ君のために柔らかい赤飯が炊けた。

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 笑顔。微笑んでchosu-pampaが、仕事から帰った。家にchosu-manmaがいることを、犬がしっぽを振るように喜ぶのだった。そういえば、母に傷付けられていつも帰宅しているなあ。