金足農業の吉田輝星くん、プロ入り表明

 甲子園での活躍が、記憶に新しいが、どうかプロ入りしても騒ぎすぎず実力がはっきできるように、と願う。こけしのように、素朴な顔立ちの純粋な青年が、どうかプロでも活躍できますように。

 マー君と対決して早実初優勝を果たした、ハンカチ王子はずっと頑張っているが、米大リーグで活躍しているマー君とは、対照的に、まだまだ結果が出ていない。県立岐阜商業のドラフト一位投手、高橋純平くんもソフトバンクに入ったが、この3年間まだまだ活躍できていない。

 ラジオで太田幸司氏が語っていたが、実力が伴わないのに人気が先行することほど辛いことはなかったという。

 星飛雄馬のように、ゆけゆけ輝星、どんとゆけ!

chosu-pampa ピンチ!

 独身の頃は、165㎝で60kg以上あった筋肉質の彼だったのに、chosu-manmaと結婚して以来体重が減り続け、今では50kgより少なくなってきた。対して、10kg近く太ってしまったchosu-manma 59歳と360日。
 定年退職を控えて、彼はこの頃夕方になるとふらふらになるという。頭も痛い。疲れが取れない。血液検査ではアミラーゼの値に異常が見つかった。

 ああ、やっとゆっくりできる歳になったのに、金と健康がないのでは何にもならん。どうか、神よ仏よお地蔵様よ、chosu-pampaの心身を回復させて下さい。

 chosu-manmaにできることは、パンツの洗濯と飯作りとちょっぴり掃除。

 今日は休みなので、血液の精密検査結果を彼は喘息でかかっている病院へ聞きに行っている。

ジュリー!!

 先日放映された内田裕也の半生を追ったドキュメント番組で、沢田研二をメジャーデビューさせたのは内田だとご当人が言っていた。今は亡き樹木希林が、愛する夫の一代記を渾身で語ったが、・・・。彼女がまだ30代だった頃、おばあさん役で出ていたドラマ「寺内貫太郎一家」の中で唐突に「ジュリー」と身悶えしてジュリーのポスターに呼びかける場面があった。
 
 先日彼女と同じ気持ちで、ジュリーの70歳記念ライブツアーへ夫とともに行った。

 テレビに出なくなったジュリーはあごひげをはやしていて、灰色の髪をしていた。内容は今後、彼のショーを見に行く人もいるかも知れないから詳細を書かない。私達も、今のジュリーがどんなふうか、どんなコンサート内容なのか一切情報を持たずに見に行って、より一層感激できたから。

 彼は大手プロダクションを離れて、わが道を歩いている。途中人気に陰りがでたこともあったそうだが、ジュリー教信者ともいえる彼の信奉者は、彼を見捨てなかった。彼は「9条守れ、原発やめろ」という歌を歌っている。じじいになってもロックンローラーで行くと。80歳までやると。

 彼の容貌はまさに、じいさんだったが、歌声は美しく高温がよく出ていた。本当に力強い若々しい歌声だった。今、歌いたい歌をうたうのだ、と彼は言った。2曲以外は知らない曲だったが、立ち見で踊っている人々は、うまく手拍子をしてジュリーと同じタイミングで拳を振り上げていた。

 沢田研二(愛称ジュリー)は、18歳の頃京都でバンド活動をしていて、内田などの紹介で東京へでてきて、グループサウンズ「タイガース」としてデビュー。商業ベースに乗って人気者になったのだが、4年の活動後に解散し、やがてソロになり流行歌手となった。だが、彼は誰もやったことのないパフォーマンスをしてみせた。すなわち、発表する曲ごとに髪型も衣装もメイクも変えていったのだ。とくに赤い軍服のような格好でパラシュートを背負って、扇風機で風を受けて、曲の途中では、コンタクトを入れて、瞳を金色の目に変えるという「トキオ」。これには、ぶったまげた。
 その頃の妖艶でかっこいいジュリーが好きだった。どの曲も名曲だったし、ヒットした。しかし・・・。古希のじじいになっても、怪気炎を上げ続けるジュリーにやっと、彼の真髄を見た気がする。あるいは、彼も転がりながら成長、変化してこうなっていったのだろうか。
 伴奏者 柴山和彦というギタリストもすごかった。全曲を暗譜でジュリーの息に合わせて演奏したから。chosu-pampaは会場の音響が悪いので、ギターの音色がはっきりせず、演奏はいまいちだったなどと言った。無論ジュリーも全曲を、暗譜で歌った。音程も歌詞も完璧だった、と思う。

 ショーの後で、今年3.11にリリースされたCDを買い、原発再稼働に反対する署名も、売店の隅でやっているグループがいたので、もちろん夫婦で賛同して協力した。

 傘寿記念ツアーも見に行こう。それまで、cyosu-manmaは生きて行こう。お金も貯めて。8000円のチケット代は高かった。

なんと簡単に

 1日から5日朝まで、つながらなかったインターネットが、・・・。管理会社に伝えたところ、マンション外部の電源をリセットしたらいとも簡単に復旧した。

 ネットが接続できないのは、数度の停電を繰り返したからだと思うが、・・・。単にスイッチをオフにしてオンにしただけで直るとは。自宅のモデムでは何度も試したが。マンションまでの光ケーブルが分派するところの問題だったのだ。しかし、なんの修理も不要で直るとは。もっと早く管理会社に電話を入れれば良かった。素人なので、てっきりプロバイダーがネット接続をしてくれるものだと思い込み、連絡を入れなかったのだ。その装置の鍵はどこにあるか、と4日管理会社に訪ねたことで、翌日見に来てくれたことが、復旧を即可能にしてくれた。

 9日にNTTの下請け業者の人が来てくれることになっていたが、断りを入れなければならない。だがしかし、電話が全然通じない。「順番におつなぎします。お待ち下さい」ばかりなのだ。まいった。

 繫がらなかった時間の損害賠償は請求できるかと問うと、プロバイダーはNTTの規約による、NTTはプロバイダーの規約による、と言ってどちらも支払わないのだそうだ。重要な家電に電話はもちろんかかってきていないだろうが、老親が故郷にいるので、危篤の電話がかかるということもあり得た。くっそー。

24号台風一過、しかし、またやって来るとは!

 1日台風がchosu-manma タウンを通過する際、わがマンションのインターネット接続がブチ切れた。以来ネットを見ない生活を4日ほど過ごした。今はchosuのスマホ経由でこれを書いている。

 インターネットを使わないで過ごしてきた時間のほうが長いのだから、いっそ契約を止めても良いのだが、・・・。

 知人友人、親戚からのメールは送受信できたほうが良いし・・・。迷うが、結局修理を依頼した。

 今までの豪雨や地震被災地の地域の人々がどうぞ、この台風でさらなる被害に遭われないようにと、祈る。

貴乃花親方廃業?

 突然の「引退宣言」に驚かされた。今場所は、日馬富士を引退させた事件の被害者貴ノ岩が勝ち越したり、貴景勝も頑張っていたのに。

 相撲協会貴乃花いじめをしていたのか。彼にはいろいろな改革案があったことだろう。弟子がモンゴル人力士会の飲み会で、怪我をさせられたのは、本当に怒り心頭だっただろうが、・・・。当然、協会理事たちは不祥事を隠したかっただろう。だが、貴乃花は警察に通報し、孤立していったのだった。

 突然の引退宣言、協会側は「退職届」ではないと受理しないという滑稽な対応だったが、・・・。
 
 彼は母とも兄とも絶縁しているという。彼の信じる「相撲道」に従って、彼は自分の考えを貫き通すのか。しかし、弟子たちは親方に裏切られた思いだろう。
 いきなり、放り出されてしまった弟子たち。ああ、彼らの活躍を祈りたい。
 貴乃花には、彼の心のケアが必要なのではないか。誰か、彼を理解して励ましてやってくれい。