故郷の友

 この喜びようはどうだ!私たちは、再会を喜びあった。
 chosu-manmaの中学時代の同級生2人と、故郷のショッピングセンターのラーメン屋のテーブルで待ち合わせて2時間ほど話し込んだ。

 10年ぶりに会う友Oさんは、こども達が3人共家を出ているという。一番上の男の子は薬剤師に、二番目の女の子は看護師に、3番めは国立大学の大学院生だという。なんと、素晴らしい。
 実はOさんは、ぼろぼろの二間の貸家で6人姉妹の末っ子として育った。成績は芳しくなかったが遊びの名人で、chosu-manmaより、ずっと何でも知っているませた女の子だったが。どうしてどうして、このように優秀なお子さんを育てたとは。あっぱれ!発育不良のようながりがりで小柄な体だったが丈夫で、30過ぎてからお見合い結婚をして、姑のいじめに耐え、今日の栄光を掴んだのだった。おみそれしました。

 もうひとりの友人Aさんは、21歳で結婚。2人のこどもも既に結婚して孫も2人できた。重い記念写真ブックを二時間もかけてここまで持参して、見せてくれた。娘さんは国立大学卒、息子さんは慶応を出てジャーナリストとなり、昨年同業の美しい女性と結婚したのだった。
 しかし、Aさんになんらこどもを自慢する気配はなく、「バババカだがね。」と孫の可愛らしさに目を細めるばかり。

 ああ、成績優秀で学園のヒロインだったchosu-manmaのこどもがアルバイトとは、恥ずかしい。しかし、ふたりの友人はchosuが家に3万円入れてくれること、年金と奨学金の支払いをずっと続けているというと、誉めてくれるのだった。

 友のこども達の成功はうらやましいが、彼らのこどもたち自身が努力して勝ち取ったもの。何も、やっかむことはない。

 皆、家族の死や介護を経ていた。そして、きょうだい親戚付き合いの煩わしさも受け入れて今日まで生きてきたんだ。

 また、会おう!と再会を約して、大慌てで450円のまずいラーメンを啜った。

 還暦になり、子育てを終えた今。さあ、これからどう生きていこうか。友たちの生き方をまた覗かせてもらおう。