ちょス飯の読書日記

 『最後の息子』  ★★★★☆

最後の息子

最後の息子

 ゲイバーのママ(男性)のヒモが主人公。しかし、主人公はそれほど、ママを愛していない。おいしい食事や温かい寝床を提供してくれるママも、男をとっかえひっかえしている。
 そういう世界があることを、初めて知った。

 バーの客、後に大統領という称号を持つ男が、ホモ狩りに遭い無残に殺されてしまう。その数日間を描いている。
 乾いている作風だ。
 
 ビデオカメラで撮影したものを見るという意外な進行。
 「恋愛」が男女間だけではない、ということ。

 人がひとり殺されても、報道がされなかったりする。性癖で差別されるのか、ということを知った。

 同録の『破片』は、亡き母を思う息子の気持ちを感じた。廃屋をガラス瓶のかけらで飾り立てて、修繕していく岳志。空にいる母に向かって作り続けているのではないだろうか。
 
『Water』は、高校水泳部の青春ものだ。
 どちらも、主人公の家は酒屋だ。長崎の坂を昇り降りして配達する場面が印象的だった。

 吉田修一は、読者によく考えて読まなければわからないように書く。思考能力が衰えてきている読者には、難しい。
 よく噛んで咀嚼して、味わわなければならない。
 つい娯楽として本を読んでいる身には、マイナス1

 『罪の声』 

罪の声

罪の声

  ★★★★☆
 グリコ森永事件を元に、現金受け渡し場所を指示した声の主たちの物語が書かれた。

 既に30年以上の歳月が流れた。犯人はひとりも逮捕されなかった。私も、あのテープの声を当時テレビニュースで聞いたひとりだ。こどもを使うということは、この子達(3人)は犯人一味のこどもなのか、あるいはただ騙されて無関係のこどもにしゃべらせたのだろうかと思い、胸が痛んだ。
 こどもなら、誰かに「これ、僕の声やねん」と言いたくなるはずだ。周りに「あ、あの子の声だ」と知られるはずだ。
 それが時効まで特定できなかった。特定できていたとしても、こどもは罪に問われないと思っていたが。

 この作者は、だれが犯人かすべてを解き明かしてくれた。

 作中は「くらま天狗」が犯人グループの名前だが、やはりかい人21面相のままでも良かったのではないか。

 結局現金受け渡しは表向きのことで、株の操作で着実に金を奪ったのではないかという推理だった。しかし、実際は大企業は裏取引で「毒入り」をやめさせたのかもしれない。

 この事件を扱った小説としては『レディ・ジョーカー』が既に発表されており、これと比べるとこどものその後を追った物語は、着眼点は素晴らしいが、やや小ぶりだ。
 

 警察と大企業に挑むのは、誰だろう。やはり、恨みを持つ貧しい庶民なのかもしれない。面白おかしい脅迫状は、当時うけた。私自身、面白がってしまっていた。グリコ、森永生家で働いていた人々はどんなに困窮したことだろうか、そう思いつつも。

 ただ、一般大衆とくにこどもたちが食べるお菓子に毒を混入させて、脅すとは許されざる事件だった。

 犯人グループの分裂も描かれていたが、それでも誰一人逮捕できなかったということは、警察の失態といえる。

 警察側の失態続きの話も読んでみたい。

 声を吹き込んだテープが出てくるところから、物語が始まるが・・・。実際の犯人達は、直ちに処分しただろうと考えられる。何故、この小説のなかでは証拠品を30年以上持ち続けていたのだろう。

 いつか、「私がやった」「私が声を吹き込まされた」という日が来ると思っていたのだろうか。
 声を吹き込んでも、普通に暮らすことができた曽根と、父親と姉(声を吹き込んでいる)を殺されひどいめに遭わされながら生きてきた生島(今は井上)。

 最後には作者の、犯罪に巻き込まれたこども二人に対するやさしい眼差しが感じられた。