いろいろな人がいる

 27日は、家にいますかと22日頃に友人Vから電話がかかってきた。以前、金のなる木を二鉢もらってもらおうと、彼女の家へ送ろうとしたが大きくて無理だったので、他の人にもらってもらうことにしたと言ったところ、まだ家にあるならもらいたい。27日取りに行くとのこと。それは、ご主人の意向だったようだ。

 土曜日までに家を掃除して、片付けてお茶菓子あるいは食事の準備は何にしようかな、と算段していたら・・・。

 いきなり25日午後8時頃「今夜これから出発するから、明日家にいる?」とV。
 Vの家は関西だが、わが家へ来るのにいくらなんでも、車で12時間はかからない。「え、今出発すると、ものすごい朝早くに着いてしまうよ。申し訳ないけれどうちには駐車場がないから、近くのスーパーの駐車場に車を置いてほしい。そこは、朝9時からしか置けないよ。待ってもらわなければならない」と言ったのだが・・・。

 26日金曜日朝7時、近くのコンビニに着いた。とVから電話がかかってきた。その電話のベルで起こされた。申し訳ないけれど夫が出勤するのでこれから準備しなければならないし、路上駐車すると罰金が取られてしまうから、9時過ぎまで待機していてほしい」と頼む。

 8時半、chosu家により近くの学習センターに居ると電話。「そこは、使用者以外は停めてはいけないことになっているから、申し訳ないけれど動いてほしい」とchosu-manma。
 過疎地の田舎に住む人は何処に車を置いても、許されているのだろう。殺伐とした都会に暮らすchosu-manmaは、彼らが誰かから違法駐車を批難されはしないか、警察に叱られるのではと極端に警戒したのだ。

 部屋はめちゃめちゃなままだが、布団を上げて朝食を済ませ、来客の準備をして、9時。
 今何処にいるの、と尋ねるとスーパーにいるというので、迎えに行くとVのご主人は30kgの籾殻付きの米俵を手土産として持参したという。
 捨てようと思った植木をもらってもらえて助かっているのはこちらだというのに、その返礼に米半俵とは。それなら、まず家に置いてからスーパーへ行けばよいのに・・・。
 スーパーのカートを借りて、米30kgをわが家へ運び、「どうぞ、お上がり下さい」カートはわたくしが返してきます、と言うと「あれを・・・乗っけて車に運びます」とご主人。コンテナに二鉢入れておいたので、それを渡す。

 結局、出勤前のchosu-pampaとご主人は玄関先で挨拶は交わせたものの、10時間以上かけてここまで来てくれたというのに、わが家へ上がろうとせず米と妻を置いて、去った。
 「一時間位あちこち回ってきますわ」と言われたので、一時間後に妻のVを迎えに来る、あるいは電話をしてくるものだと思っていたchosu-manma。

 Vとchosu-manmaは4年ぶりの再会を喜び、久しぶりにゆっくりふたりでたくさんおしゃべりができた。しかし、Vちゃんが送ってくれた写真をアルバムにしてあったものは、管理が苦手なchosu-manmaには、どこにあるかわからず取り出せなかった。日曜日に来てくれるのなら、準備できたはずだったが。
 しかたなく、押し入れの手前にあった古いアルバムを見せると、熱心に見てくれた。その間に、Vちゃんに彼女と歌った歌を聴かせようとエレクトーンでchosu-manmaは演奏始めたが、楽譜が読めずうまく弾けなかった。アカペラで歌えばよかった。これも後2日あれば、準備できたはずだ。
 「椰子の実」を中学を卒業しVちゃんと別れ別れになった春休みのある日、歌っていたら、Vちゃんから電話がかかり自分も「椰子の実」を今歌っていたと言われたことがあったっけ。
 しかし、二時間近くたってもVのご主人からなんの音沙汰もない。Vは携帯を車の中に置いてきてしまったと手ぶらで、わが家へ来ていたので、chosu-manmaが一時間後にも、一時間半後にも彼女の携帯に電話を入れたが、出ないのだった。一切、ご主人も息子も彼女の携帯にかかってきた電話に出ないのだそうだ。

 11時Vはもう帰ります、と立ち上がった。そして夫がこんなに長く他人といさせてくれたことはない、と言った。でも、迎えにこないのはどこかへドライブに行っているからかもしれないよ、とchosu-manma。しかし、朝シャワーから出てきたchosuにVちゃんに挨拶をさせてから、ふたりで再びスーパー駐車場へ戻ってみると。

 どこへも動かず二時間も、ご主人は同じ場所の車内にいた。店内は涼しいし、休憩所も無料のお茶もあるのに。

 トイレへも行かず、じっとVを待っていた。

Vは数年前までよく家出して、金がなくなると戻って来たそうだが、こういうことかと初めてわかった。
 車内では、一人息子がよその家に行きたくないからとひっそりと待っていた。お盆玉を3000円上げると、「ありがとう」と言ってくれた。18歳。就職も内定したという。彼には生まれてから18回、誕生日とクリスマスのプレゼントを送り続けてきたが、そのお礼を一度も彼から聞いたことはない。
 
 午後5時40分「無事に自宅に帰りました」とVから電話がかかった。

 chosu-manmaを慕ってくれる友。Vちゃんに会えて嬉しかった。Vのご主人は一時間の超過が嫌なら、電話してくるべきだ。こちらに非はない。しかし、「お待たせしてすみません」と謝るchosu-manmaなのだった。

 中学卒業以来、44年。彼女との交流は続いている。痩せていた彼女が今ではchosu-manmaより太っていた。心臓に穴が空き紫色の頬をしていた彼女が・・・。父親にはしてもらえなかった手術を、ご主人はしてくれた。
 健康も、住む家も食べ物も着る物もご主人はVちゃんに与えてくれた。こどもをなすことができたのも、彼のお蔭だ・・・。しかし、息子には湯水のようにお金を与えているようだが、Vちゃんには自由を与えていないようだ。
 chous-manmaは遠くにいても、Vちゃんのことをいつも思ってきた。思いが通じて、2人は再会できた。金のなる木のお影かもしれない。
 彼女を、思春期になってから息子は嫌って、口をきかなくなっているようだった。
 ご主人が、4年前chosu-manmaがもう一人の友人とVちゃんに会いに行ったとき、さっと二階に隠れて降りて来なかったとVは、今回明かした。息子も極端な人見知りなのだという。