5月29日から31日

 29日、朝7時48分のバスで駅へ向かい、隣町の駅で降りて病院の送迎バスに乗り換えて9時10分前にH病院に入院した。かねてからのスケジュール通り、いよいよ白内障手術を受けるために。
 手続き後、病室へ入り、病院出入りの業者のパジャマは、糊はきいているもののハゲチョロりんで粗末、ズボンのゴムは伸び伸びだったが、致し方なし。
遣いたい放題だという、タオルもバスタオルも最貧製品なのだった。

 明日の手術に関する説明会に行くと、なんと13名ものお仲間が!女性は70代前後の人が3人、男性も70代くらいの元気そうなご老人ばかり9人も!50代はchosu-manmaのみ。人より老化が早いのだろう。
 この病院では週二回、白内障手術患者を10人前後、次々にサバいているとのこと。片眼は日帰りだが、これだけ次々に病気になる人が現れて、治療や手術に来てくれるのなら病院ビジネスは、儲かるなあと思う。老人大国となった日本は、病人大国でもあり大変な利益を生むはずだ。一方、経営破綻して潰れる病院ももちろんあるが、・・・。

 chosu-manmaの担当医は、無口で穏やかな若い医師だ。有名な地元の名医とのことだが・・・。
 
 上げ膳据え膳の病院食に感激。夜はchosuが持たせてくれた名曲の多数入ったソニーの小型再生器をイヤホンで聴きながら、明日の手術はきっと大丈夫だと言い聞かせながら眠りについた。
 しかし、6人部屋には、白内障手術の人はもうひとりいるだけで、外科手術をしたばかりの人と、重病の人が2人。ベッドひとつ空きがあるという状態で、きっちりカーテンで仕切られていた。
 39年前の夏、生まれて初めて入院したときは、大部屋でも昼間は皆、カーテンを開けて病人同士おしゃべりしたり、お菓子を分け合ったりして仲良くしていたものだったが。個人情報を知られてはならない時代になったからだろうか。カーテン越しにそれを開けてまでも挨拶できず、「よろしく」と心で言った。
 夜、何度も看護師を呼ぶ人もいて、なかなか眠れなかった。

 30日。
 chosu-manmaは、2番めに手術を受けることとなった。朝、点滴を打ち順番を待った。9時15分に病室を出たが、10時30分には帰室できた。
 自分の番を待つ時間が、長かった。小気味良い音楽が手術を待つ患者のために流されていた。

 いよいよchosu-manmaの番が来た。
 手術台は歯医者の椅子のようなもので、座ってから寝かされて、顔面に片目だけを出すように丸い切り込みのある丈夫なゴム製のような覆いをかけられた。眼をぐわっと開かれ、身動きはできない。

 まず左眼から行きますと先生が言う。

 麻酔薬を眼にかけられて、待っていたのだが手術のはじめにも、さらに麻酔薬がだばだばと掛けられた。
 メスで、眼の表面が切り開かれた。しかし、痛みはなかった。さくっとした感触もないが圧力は感じた。それにしてもこの眩しい光はどうだ。
 眼を開けたまま手術をするのだから、当然だが。眩しさに耐えるのがつらかった。赤い点、黒い点など3つの丸が見えた。早く終わってくれ、と祈る。
 よく見える擬態眼(レンズ)を得るのだ。ノーペインノーゲイン。

 さあ、レンズが入りました。終わりましたよ、しばらく休んで下さい。と先生はすぐ次の患者の手術をするために、隣の椅子へ向かった。
 そしてchosu-manmaを15分位待たせるのだった。

 しかし、ずいぶん早く先生は戻った気がする。

 右眼も左眼と全く同じように施術。二度目はそれほど恐れることも苦痛も感じられなかった。

 両目を一度に手術し、ゴーグルを掛けて病室へ戻った。眼はもう、よく見えるようになっていた。点滴車(抗生剤)をガラガラしながら、病室へ戻った。
 
 午後chosu-pampaが、様子を見に来てくれた。嬉しかった。ラジオ用の乾電池を持ってきてくれた。FMしか病室では聴けないが、誰とも話さずにいるのもつまらない。

 夕食後、ロビーにおいてあった漫画を読んでみようと思い立ち、借りてきた。見える見える。久しぶりに読んだ『ビッグコミック』は面白かった。

 31日。
 思ったより、入院費は安く済んだ。しかし10万円以上なので、高額医療費として、いくらかは保険組合に還付してもらえそうだ。ありがたい。
 術後の検査にも、異常なしとして無事退院できた。
 10時過ぎに迎えに来てくれたchosu-pampaとゴーグルを付けて帰宅。一週間、眠る間も掛け続けて眼を保護しなければならない。目薬も4種類。5分おきに順番を守って差さねばならない。
 ズボラなchosu-manmaだが、がんばろう。
 退院祝いに美味しいものを食べて帰りましょうよ、と言うとしぶちんのchosu-pampaはカフェで、という。
 しかし、そこは焼き立てパンのカフェだったが、障がい者の自立を助けるための事業所でもあるとのことだった。パンが大好きな、心のやさしいchosu-pampa。クロワッサンハムサンドなどを食べて帰宅した。

 昔読んだちばてつや先生の少女漫画に、貧乏な少女が目の手術をして包帯をぐるぐる巻きにしていたのを、やっと外す朝の場面を思い出す。
 「見える、見えるわ。」と。
 
 chosu-manmaは、あの漫画のように、包帯でぐるぐる巻きされていないので、やっと見えるようになったという大きな感動はなかった。
 見えにくい眼を、見えやすくしたという手術だったから。医学の進歩はすごい。こんなに多くの人の眼を、切り開いてはレンズを入れ、切り開いてはレンズを入れを手早くベルトコンベヤーのように、執刀医は自信を持って繰り返せるのだから。
 帰宅後掃除洗濯、夕食作りを再開した。世間の人が言うとおり、確かに、気が付かなかったところの汚れやカビが見えるようになった。
 顔の皺とシミもなんじゃこりゃあ、と驚かされた。

 メガネなしで3ヶ月過ごし、視力が定まった頃近視用の薄いメガネを作れば良いとのこと。おしゃれなものにしたい。楽しみだ。