そう言うだろうとは

 思っていても・・・。どうしても、母の顔を見たくなってしまう。弟に「もし母に何かあれば、いつでも飛んで帰るよ。ただ、前もって検査の日がわかっていれば、こちらの都合を訊いてほしい。都合を合わせて付いて行きたいのは、山々なのだから。」と言うと、彼は自分が責められたと感じるのか、激怒。飛んでもなく、話を飛躍させ自分は悪くない、と繰り返すのだった。
 10時間かけて辿り着いた実家で、ぺこぺこのすきっ腹に、惣菜のトレイのまま出されている夕飯。
 弟の残したイカの刺身を頂く。食後に母に「ごちそうさま」と挨拶すると、ぷいっと横を向き「いつまでくっちゃべっている!」とふて寝。まだ、20:30なのに。
 だが、彼女は不自由な手で娘のために布団を延べてくれた。

 翌日は、母の望むとおりに動きたいと思った。

 朝6時。弟の出勤を見送り父に読経。母は猛スピードで読む。
 chosu-manmaは、父の死以来、読経CDに合わせて正当な速さで読んでいるので、3頁は遅れた。
 洗濯掃除をして、9時過ぎ、私鉄駅前から出ている市営の巡回バスでショッピングセンターへ買物に。
 母は昨夜と打って変わって、うきうきしている。膝が内向きに曲がり、一昨年骨折した右手の平は、親指と人差し指が変な形に癒着したようで手首が飛び出したように歪んでいる。
 ガラガラと手押し車を押して歩くが、これは力強い、早足でさっさと歩く。

 結婚する前にはなかった、巨大ショッピングモールへ、中学校の校区をぐるぐる回ってバスは100円で連れて行ってくれた。バス代も母が払ってくれた。
 故郷の街には、高いビルが一つもないから、郊外に出ると田んぼの上に広がる空の大きくて広いこと!!
 美しく澄んだ青空だ。
 中学校時代の同級生の住む地区を初めて通った。こんなに遠いところから、皆来ていたのか。
 先月傘寿のお祝いを嫁と孫達にしてもらったと、母は言うが、chosu-manmaも祝ってやりたくて「たまにはレストランでランチを食べましょう。」と提案すると、母は、「レストランで出される量はとても、食べきれない。
 スーパーのお惣菜で充分。フードコートでお茶も買ってゆっくり食べよう」と言う。
 涙がこぼれた。

 久しぶりに食べるスーパーの握り寿司。母は小さな赤飯と青菜のおひたしを買った。たった777円の寿司もなかなか口に入れられぬ生活をしているが、・・・chosu-manmaが会計を払った。
 母が80才までも生きていてくれる。これは、嬉しい。一緒に昼食をゆっくり食べられる機会。

 後何回会えるだろうか。   つづく