6to8

6日
朝一番の新幹線に乗るにはchosu-manma
town駅から5時の始発に乗らねばならぬ。しかしバスの始発は6時。タクシーで行けばいいものを、chosu-manmaは、自転車で駅へ。しかし、叔母にもらったドラゴンボールの目覚まし時計は鳴らず!いや、4時半に鳴ったのに、無意識で止めてしまい5時に目覚めてしまった。
 早朝真っ暗闇の中どきどきしながら、信号無視ですっ飛ばし、必死にペダルをこぐが・・・。間に合わず朝二番の新幹線に乗って名古屋へ。

 午前9時過ぎ。やっと病院に辿り着く。生きていてくれ。受付で病室をだずねると○号室だという。「あーー間に合ったーー」ガッツポーズ!
 しかし、○号室はもぬけの空。
 「午前3時半お亡くなりに」

 叔母宅へ行くと、娘、その夫達四人は悲しむ間もなく葬儀社の人と打ち合わせをしていた。
 叔母は、普段の顔と別人のように美しく穏やかな顔で眠っていた。

 台所で弔問客にお茶出しをして上げようとしたら・・・・そこは、食材と食器、ゴミが何層にも堆積していて幅20cmくらいしか、歩行できない。ガス台は3個のうちひとつしか稼動せず水道の蛇口も壊れているし、流し台も扉が取れたままだった。3個のごきぶりほいほいは満タンだ。

 叔母は、認知症の夫の介護をしなければならず炊事、洗濯はしていたが掃除や片づけがまったくできなかったのだ。少しだけ整理しようとしたら・・・・ゴミ袋が10以上になってしまった。孫息子Tと、従妹のOと始めたのだが、まだ90%残っている・・・。恐らく、自分のために人に迷惑をかけたくない、助けてもらいたくない一心で、叔母は頑張っていたのだろう。けれど・・・・・。ゴミの山は彼女のSОSだった。
 
 7日
 通夜に集まった人々は、彼女の急死に涙した。幸せそうに夫婦で微笑む写真がスクリーンに映し出された。叔父には妻の死をまだ知らせていない。かなり悪化して今は腰の骨を折り寝たきりで入院中だという。けれど毎日見舞いに来ていた顔を見なければ「あの人はどうしてこのごろ来ないのかな」と叔父は思うのではなかろうか。夫の介護をひとりでやりぬいて、彼を見送ってからしか死ねないと気丈にがんばっていた叔母が哀れだ。
 「もう、これ以上はしなくて良い。ゆっくり休みなさい」と神様がドクターストップをかけたのか。

 介護はひとりでは絶対にできない。娘二人も協力しようとしているのに・・・・。尽している妻に叔父は暴力を振るうようになっていたと言う。それでも入院させて自分が楽になったことを「私がめんどうを見れず申し訳ない。」と叔母は言っていたのだそうだ。
 
 昨日の午後3時。叔母を自宅から葬祭場へ運ぶ。
 叔母の遺体を守って会場で泊まる。豪華な造りのホテルのような控え室で、入浴もした。久しぶりに会えた叔母や母とゆっくり話して眠った。故人を偲んで寝ずの番をしなければならないが、今日のお通夜は式が済むと皆帰って行ってしまう。

 日本シリーズは中日が負けた。がっくり。

 娘夫婦二組による明日の算段が決まった。焼香順名簿にぬかりがないように相談。会ったことのない親族や血縁の濃い薄いがなかなか分からない。
 今後も、必ず一人ずつ死んで行くのだから、家系図、親族図を作っておくといいな。

 8日
 徹夜で、灯明と線香を切らさぬようにする習慣は無くなった。一昼夜保てるモノができたのだ。叔母達と布団を並べ、朝までぐっすり眠ってしまった。
 喪主の従妹Iと朝食に行くと・・・。朝ごはんを食べながらIは泣きじゃくるのだった。ごめんね、chosu-manmaの母は、こうして生きているのに。妹の善人のあなたのお母さんの方が長生きしてほしかったのに。「今日の喪主の挨拶の言葉は考えたかな。叔母さんの思い出や長所をたくさん話してほしい」とchosu-manmaは、唐突に言った。

 娘二人は、特Aの祭壇を頼んだ。坊さんも二人。葬儀社の紹介で、叔母の実家と同じお東。Iちゃんがその一昨日、枕経を上げに来てくれた坊さんに謝礼の金額を尋ねると、25万円の呈示をされていた・・・あくまで目安の金額である。ご自分達で自由に決めて下さいとのことだったが・・・。Iちゃんたちはいくらにしたかな?2万円ではあかんのかな? 
 心のこもった良い声の読経で素晴らしかったが・・・・
 Iちゃんは、お仕着せの言葉ではなく、自分の言葉でお礼を言った。お母さんの思い出も。また、孫達からの手紙も、素直で飾り気の無いもので皆々涙した。
 いよいよ、出棺。バスで焼き場へ移動。
 焼き場には20人、骨拾いは10人程度。焼き場はフル回転。30数基のお釜が並び次々に、荼毘に付されていくので、手早くしなければならないのだそうだ。なんと世知辛い。ちゃっとちゃっとの文化だ。死んでからも慌てさせられるなんて。

 小一時間経っただろうか。叔母の思い出をIちゃんとCちゃんと語り合った。マイクで、部屋にいる皆に聞かせたいくらいの楽しいエピソードばかり。
 叔母の骨は太く、大腿骨も真っ白で立派だった。足が丈夫で曲がった腰でも、どこへでも行った。

 初七日法要が済み、精進落としを頂く。これがなんと美味しい!熱い湯葉のお吸い物、てんぷら、茶碗蒸し。冷たい刺身、酢の物。煮物もそれぞれ季節のものばかり。一流料亭の味だ。
 惜しいかな、少食のchosu-manmaは、たくさん残してしまった。だってデザートのメロンが食べたいんだもの・・・。これもまた、本当に美味しい高級な品種のものだ。

 果たしてこんなリッチなご馳走つきの葬式が、皆からの香典分で賄えられたかな?
 いや、足りなくてもきっとお母さんを贅沢な演出で旅立たせることを選んだのだから、Iちゃん姉妹に悔いはなし。